ものと人間の文化史 染と色彩 前田雨城 著 生活の中ではもともとついていた自然の色と人工的に着色したものとがある。私たちの目には、あえてそれを区別することなく、色としてうつってくる。その色をみることで喜び、楽しみ、寂しさや悲しさを感じることすらあるのであるから、色が人間の感情になんの関係性もないとはいえないと思う。数ある哺乳類のなかで色を区別し得る目をもっているのは少ないという。その種類をあげると、ヒト、類人猿、サルのみであるとされている。目の中に色を感じる組織をもつものはこれらの種類のみであり、他の動物においてはほとんどその組織が認められない。色彩を感じ、色相の区別ができる動物であり、そして直立して歩行し、主として地上に住む「ヒト」はこれらの条件があったために文化というものを創り得たとした。これは前田雨城氏が著書で説いている。色彩には形や容量がないため、ある意味からいって物質とはいえない。そのため色のみでは物質的要求の充足ができない。当然のことながら色の人間社会との関係は色に精神的安定を求めるという方向性が主となっている。この精神的安定は、心のやすらぎであり、心の満足といいかえることができる。衣服は好みにより美しさを求めて自由に色彩が用いられ、見た目に美しく着色した各種の食料品は公害を問題にされながらも食欲増進や購買心を起こさせるために一役をかっている。文学の上でのみ見ることができる色彩名や、現存する資料がないためその色相を推測することすらできない歴史上の有名な色、例えば「山藍」色のような色彩名も存在する。色でない色彩、つまり腹黒い人の「黒」、黄色い声援の「黄」など感覚そのものを色名で代表させたものである。いうまでもなくその色は実在しない。しかし、これらをみると人間は色に感情をもって接しているとしか考えられない。現実の色であろうと想像上の色であろうとそれは差がないようである。ものに美しさを感じるのは、常に形と色の調和がとれている時のみであるが、形のよしあしのみにとらわれている場合が多く色や彩色が、その調和にとって重要なポイントであることは案外、無頓着のようにみうけられる。社会の中にあって私たちの生活とその存在を共にしているものである。 北村陵