絣 平山郁夫コレクション 絣に見るシルクロード 古い中国文献に南蛮諸国が産するところの「斑布」がみえる。3世紀ごろの著作で南海や西アジアについての案内記「南洲異物志」に「五色の斑布は古貝木(綿の木)をもって作る。斑布を作るならば、綿の実の斑布の模様の煩雑であるものが、巧みで城城(上等)である」と書いてある(「太平御覧」820所収)また「梁書」諸夷、林邑国の条にも同様なことが述べられている。林邑国(今日のヴェトナムに2世紀末から8世紀半ばまで存続したチャンパー王国の中国名)で、綿花から白い繊維をとり糸にして、五色(様々な色)に染めてから斑布を織ったという。とすればインドシナで絣技法が木綿織物に模様をつける技法の一つとして行われていたことが知られる。東南アジアが絣の発祥地という見方があるがこの仮説も見逃せない。 絣は沖縄八重山上布の絣糸を作る技法「カシィリィ」(糸に染料をかすりつける)が転訛したという説があるが、模様がかすれてみえるところから「かすり」で馴染まれたのだろう。国際的な用語としてはインドネシア語の縛る、結ぶという意味のムンイカット(mengikat)に由来するイカット(ikat)が一般的に用いられている。墨の筆跡のかすれ(掠れ)に由来する「飛白」(ひはく)も使われるが、絣よりもよりこの織物の特色をあらわしている。 この著書は、絣からシルクロードの世界をみてみよう といったものではあるが、カンボジアのアンコールワット遺跡を救済するために、カンボジアの社会的安定、経済的余裕をもたらすために日本企業や有力者が企画し、カンボジアにも高度な技術がアンコールワット遺跡からも伝わるように織物にも同じくいえるのだという意味で、またそうした技術も失われていくなかで、カンボジアの感性は優れているから伝えていくものだ。カンボジアの絣は19世紀から今世紀にかけてのそれに先立つカンボジアの織物事情を伝える資料は残念ながらみつかっていない。染織品の展示によってのみ、伝えていくほかない。 カンボジアの絹絣はすべて同じ技法によっている。緯絣で、模様は緯の絣糸であらわされ、組織は3枚綾(2対1斜文)である。これはまた他の東南アジアの絣のように他の技法で飾られることも少なく、絣技図柄を繊細な絹糸で織りだしている。そのため模様をいかにはっきりと描き出すかに工夫を凝らしているが、実際にそれが成功しているのである。綾組織の緯絣としたことがその最大の特徴だが、3枚綾は本来、毛織物に使われる織物組織で6世紀、ササン朝ペルシャに成立した緯錦(ぬきにしき)に用いられ、唐代になって中国の緯錦の基本的な組織となったものである。インドの絣に3枚綾は見られず、それゆえ、この組織織の知識は華南から南下してきたタイ人から教えられたものにせよ、源流は中国絹織物であろう。3枚綾は綜絖の数がもっとも少なくてすむ斜文組織だが、その緯綾(緯糸が支配的な綾組織)は、緯絣の模様をより表に出すのに効果的である。その場合、裏は経綾で経糸は緯糸に覆いかくされてしまう。それを利用して経糸を表で主な色とは別の色糸を用い、それも1色のみとせず、2、3色を使い、それによって織りあがった布は裏表で異なる色調となり、表では複雑な色合いとなって、織物に豊かな味わいを醸し出している。南方の強い日差しによってそれは玉虫色に微妙に変幻して見えたことであろう。かつては織物に不器用であったと記されていたカンボジアの女性たちは実際のところ繊細な芸術的感覚と優れた技術の持ち主であったのであろう、そのセンスと技量を見込んだのがタイ王室であった。14世紀以来、カンボジアはタイ諸王朝の支配下におかれることになるが19世紀末にいたるまでタイの上層階級のフォーマルな衣装ソムパクプーン(腰布)はカンボジア製であった。幅90cm長さ2mの大型の織物で、それを作る織機も大きくなり、かつて周達観がみたカンボジア人のものではない。おそらくタイからの技術指導があったのだろう。意匠構成はインドの経緯絣として世界的に有名なパトラにのっとっているが、織物の両端に見出される典型的な火炎状模様によって、それが17世紀からタイ王室がインドに特に注文して制作させていた華麗な手描き(媒染)更紗の腰衣パヌンと同列に並ぶものであることがわかる。つまりタイ王室は高級な織物を外注していたのである。それに対して本来のカンボジア人つまりクメール族特有の腰布サンポットホルがある。この古風なつくりものはパトラ絹を模範としながらもはやクメール様式となった菱格子文を主な模様の地に織りだし、長さと幅の方向に簡素な模様の条帯を間隔をとって織りだしただけの地味で控えめな意匠である。しかし絣糸の括りは非常に細かく(最小単位の緯4本)、絣文にさらに細かな明るい黄の点々の絣斑(竹の肌の細かな斑文になぞらえて<bamboo shot >バンブーショットと言う)を加え、まことに繊細な品格のある古典的作品に仕上げている。それらは晴れの場の腰布で、衣の端を股の下に前方からくぐらせて後ろにたくし上げ、袴のような形に着る。日常着は東南アジアで一般的な筒状の腰布が用いられ、土地の伝統的な名称もあるが、今日ではインドネシア語のサロン(sarong)が用いられているようである。ちなみにタイやラオスはパシン(pha sin)である。 北村陵