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題目 日付 資料
結城紬に言えること 2019.3

中間資料集7においての資料とその周辺更新記事はまったくもって意味不明,支離滅裂になっていて恥ずかしい限りである。削除したところだが削除しない。現状把握がうまくいっていないこととTwitterにおいての不必要以上の干渉に起因していた。さて今回、結城紬に言えることとしたが、これは越後上布の運命に通わせてなぞるものである。越後上布は自然淘汰のすえに必然があって徐々に生産者がいなくなりやがて幻となった。結城紬はまったく同じ運命を辿るのではないかということである。まず、結城紬産地概要は生産者はインターネットをほとんどの人が用いている。しかし、結城紬の課題山積と私が述べたのはそれなりに要因が蓄積されている。まず恐れを知らずに言えば、結果的に現状、今後結城紬は作家にならない限り生産者としては生き残りが難しい。その行く手を阻むのは、当然、糸は手でひいた手つむぎ糸を用いて、絣は防染による絣括り、手くびりの手法を用いて、染色は化学染色の基礎から習得と環境投資、草木染めにおいても素材から染めに至るまでの実技など染めの工程までですでにげんなりするような気が遠くなるような時間と習得まで、体得までの経験や時間が必要で織りの工程まで語るまでもなくすでにこれらを一人でこなさない限り生き残りは難しい。その困難さははかりしれない。織りも当然、高機織り、地機織りと手織りならではの難しい体得、深くいえば、デザインもこういうものが作れますなどのアプローチが必要だろう。北村織物では現在、とにかく記録するという点に重点をおいている。これは賛否両論であると感じる。私はネットでの情報開示性は生産者向けに関してはもっとも優れているサイトであるというつまらない自負がある。こだわりとは大きな目で見た場合、なかなか伝わりにくいものである。世の中、不思議なことが多い。例えばTwitterである。これは老若男女を問わず無料アプリやパソコンから観覧できたりするものであるが文章文字制限があり研究には不向きである。またTwitterでは人気であってもその人のお店にいったらどのあたりが優れているのかわからないなどの問題点もあると感じる。確かにTwitterは四枚の写真やモデルを起用して購買意欲をかきたてるなどの手法や商法をよく目にする。このやり方に私があまり乗り気では無いのは、結城紬の場合かなり繊細である結城紬の布の質感が写真では伝わりにくいことと、写真での光の加減、電気のもとなのか、太陽光による陰影なのかが、さだかでは無い点で結城紬はそうしたものに不向きであるという点につきる。そして織物協同組合がこの先人数的に滅びるなどの情報が多くの60才前後の生産者が語っているがまんざらでも無い。では生産者として結城紬の運命としては、徐々に滅んでいく中でいちから全ててがけるしかないということ(作家になってしまう)ということで自然淘汰からまのがれられるが、その場合においても販路がインターネット宣伝や名前が売れるまでの辛抱など多くの課題がある。志村ふくみさんは人間国宝である。話はそれるが彼女の場合、糸は結城紬の手でひいた手つむぎ糸に勝てていないし、地機織りの高度な布の質感や糸密度ともほど遠い。完璧な人はいない。つまり生産者や作家であってもそれだけ一つ一つの工程が専門的に従事している人から見たら人間国宝の作品にもすきがある。それは一生続けて作業に従事してもつきまとう仕事は完璧では無い、まだまだといった生産においての苦悩に通じていると思う。志村ふくみさんはなぜ草木染めをしているんですかと聞かれ自分でもわからないと答えている。そういう意味では、私もなぜ自販を続け、親につかえ、儲けの少ない仕事で自腹による足稼ぎの記事をつづっているのかわからないという意味では紬が人生の一部になってしまっているのかもしれない。