伝統工芸士会というのがあり、私はこのシステムにはとにかく不満しか覚えない。まずこういうどうでもいいような会合には本物の作り手や職人がしゃしゃり出てくるほど余裕があるとは考えにくいと私は見ているのである。当然腕のいい職人は多忙な為、そんなことに時間をさくほどバカではないのではないか、という点につきる。だいたい京都の連中もそのあたりは指摘していいのではないかとも思えてくる。着物の世界はいたって残酷で、容赦はない。京都があたかも着物の中心というがそれはあくまで晴れ着の世界に限った話であり、では普段着やカジュアル着物の分野はたいして重要ではないかのような位置付けというのも納得がいかない。その根幹は、実は結城紬が切り込んでいくべきなのである。結城紬はではどう言った対応をしているのかについて私なりの意見をのべる。結城は産地が栃木県と茨城県という極めて稀な産地形成があり全国でもまずこういうことはないのである。当然、どちらが意見を通すべきかという感じにもなってくる。だがもっとこのような案件の素材を見ていただきたい。まず普通に生きていては気がつくことなく棺桶に入る。他産地は伝統工芸士会というかそういう類のものは同じ人を何年も据え置くだけ、というシンプルなシステムを取っていて、当然詳しくなるしいいポジションになるのである。結城紬は3年あたりをめどに絶え間なく人が入れ替わり、いったい今のお偉いさんは誰か、みたいなどうでもいいことに気を使っていて入れ替わりによって重要なポジションまでいかずして終わってしまっているのである。このシステムを改善しない限り、結城紬のような重要な産地とものづくりをしている代表者がいいポジションまでたどり着くとはないのである。今までの職人は考えが及ばなかった、それにつきる。あとはそもそも伝統工芸士というのは後継者の一つの目標にしかすぎないシステムであり伝統工芸士の肩書きを信用しすぎてる。もの作りには肩書きはいらない。伝統工芸士とはそれほど効力のある資格では本来ないし、目的も若干違うのである。だから私はそもそも伝統工芸士いうものを信用してない。持っていても持っていなくても変わらないのに毎年決まった金額を黙っていても取られるので意見はいうだけはいうのである。青山スクエアのかかえる問題はこれだけではない。そもそも年会費をとっているのに決算書を書かないのはなぜかという簡単な質問や指摘してこなかったあたりをみると、そもそも彼らは真剣に考えたことすらないとしか言いようがないように思えるのである。むしろこれは誰がどうみてもやっていることがおかしいのにそれすら放置してきた伝統工芸士の方々も悪いのである。なあなあならその大元はもっとなあなあになる。それしか言いようがない。決算書が出さないので、どこをどう改善すべきか、という意見すらなら出せないので指摘のしようがないのであり、今の時代からしてそれが普通である、というのも全く進展がしてないままになっている。この状態で青山スクエアの職員はもっと現実をみてみるといい。いくら東京に構えたところで相手にはされないのは当然である。はっきり言えば本部がどこなのかも重要ではない。

書き手 北村陵