女性に相手にされない無名のおじさんと昭和の才女になぜかモテる俺 北村陵

久しぶりにパソコンへ向き合っている。久しく書いていなかった。ここしばらく結城紬は消化時間になっている。私はなぜか昭和の女性、しかも才女にモテる。ただ年老いたおばちゃんを抱く勇気はない。仕事柄出そうなので仕方ない。まず、寺と僧侶について書いておく。テレビはさも東京の浅草寺がもっともすごいと言った記事をよく見かけるが現実には関東一の寺院ではない。檀家数関東一は桜川市(茨城県)の月山寺である。私は塩沼大阿闍梨に結城であって最初の質問者となった。偶然である。まず道中であった動物を知りたかったので聞いた。するとイノシシとクマであるというようなことだった。特に阿闍梨を目指す僧侶は苦行と死の狭間の覚悟を要求される。短刀を腰にすえ、自分が修行に負けたと悟ったときにその刀で己の腹を切腹するために用意している。僧侶の死骸が無残に残る。さて僧侶についてはここまでとして、日本の女性について描写しておこう。その前に長野県の上高地という場所はご存知であろうか。ここは<カミコウチ>と呼ばれている名所である。奇遇にも私は長野上高地千枚石を手に入れた。これは日本という地理や地質がいかに他国より稀な場所であるかを確認できるエリアであり、当然外国人がツアーやトラベルで人気が高いのかが伺える。石というのは大きく分けて三種類に分けられる。北村さん、また結城紬じゃない話してないですか、というクレームが来そうだが仕方ない。私はイノシシなので一つのことしか頭にない。まず数億年もの時を重ねてできる堆積(たいせき)としてできる石、それから火山などの噴火でできる石、そして地球のプレートがずれてできる地殻変動による石である。こうした解説をそもそもは専門家が語るべきであり、いきなり私は研究者などと言って極めて極上な研究をしているとはアンフェアーである。それはまるで結城紬つむぎの館の商売と同期する。いきなり本場結城紬をビシッときて接客したら客はすっと引いてこないし私には無理な値段ですとなる。そういう場所の経営者の顔が見たい。こんなどうでもいい話はほっておこう。つまらない。改善としてはいしげ結城紬をきこなし、こちらが本場結城紬です、とそっとスタッフは客を質のいいものへサポートすべきなのである。木村孝先生(有名な人で名前は正しいかどうかわからないが)クラスになるといきなりジーンズで普段は着物は着てません、くらいのひらきなおりをする。平成生まれでも私がびっくりしたのは興味津々で後から後から質問してくる女性がいたことである。これは実は昭和生まれの半端な女性として生きて過ごしている有名人とは異なってくる。当然伸びがあるのは先方の女性なのである。そもそも伝統工芸士と言いつつその定義は極めて曖昧な定義になりつつあり、多くのベテラン伝統工芸士は結城ではやめてしまおうという動きがある。なぜかというと年会費はとられるのに全く恩恵がないという事実と効力のなさ、そして決算書を出さないズサンな時代遅れの経営に不安を結城紬の伝統工芸士の多くは抱いている。それはそうで知識も実力もないようなものに汗みず垂らして稼いだ金を貢いでるとなると誰だって頭にくる。私はツイッターというサービスでこの道具はなんですかと質問した。すると答えが返ってくることはなかった。さらに私がびっくりしたのはこれだけではない。なぜ伝統工芸士なのに認定されてネットで受賞歴が掲載されないのかと質問し、そして結城紬については産地クラスの受賞歴であり全国クラスのタイトルだけに改正すべきではないか、と提案すると電話の相手は北村さんのおっしゃるっとおりですと答えた。すると私の両親と私しか受賞歴がないというような状態にほぼ近い現象にまで陥り結城紬の従事者は今まで自己満足でおわっていませんでしたか、大丈夫ですか、というような状態なのである。伝統工芸士は分業からやがて作家活動の節目を迎えている。言うなれば生き残りには分業制統一しか手段がない。私は何度もいうがそもそも伝統工芸士というのは後継者の目標の資格、という「位置付け」という価値からして所持したり維持する依存性はあまり感じていないのが実感である。正直そういうものは文化と伝産センター本部がミスマッチングしている。ただ単に青山スクエアと横文字を使えば消費者がくるかといえばこない。東京の視線は残酷だし目も超えているし金もある。だから生産者はいかに東京と京都とどれくらい腹をくくって会話できるかという能力と、取引や信用を得られているかという技術と実力が差異を生み変化をもたらすと私は見ている。二流の織物は東京、関西は必要としていない。すでに私はどちらも満たしているのでこういうトークが可能なのである。HONDAの本田宗一郎が一流の技術者と一流の商売人というシンプルな構図で商売はうまくいくとすでに著書にしてるのは誰もが知っている。私は京ごふく二十八の原巨樹先生とそれを実現させる。非常識な技術屋と商談がうまいあきんどはそりがあう。どこで買うかという権利はすでに消費者の権利である。またしても多くの着物ファンの消費者の顰蹙を買い、多くの着物ファンの昭和生まれの女性にモテる記事を書いてしまった。漠然と私は凡人だと思ったあなた、凡人の方が幸せなんだぞ。

書き手 北村陵