日本の染織 沖縄の織物 南国の素朴な伝統美 どのような文化でも、地理的環境と歴史的環境の上に成り立っている。また、美という人間行為の頂点は、その双方の和がなくては成り立たない。 沖縄は九州の南から台湾まで、弧状に点綴する南海の列島である。本土では見られない豊かな陽光と、石炭質の珊瑚礁、湿潤な気候は、織物に必要な繊維と染料を採る植物を育てた。苧麻、木綿、芭蕉、みなそうであるが、なかでも芭蕉は地味に適して全域にかつてよく繁茂し、もっとも普遍的な衣料となっていた。芭蕉を除いて沖縄の織物を考えることはできない。植物染料も多い。福木、車輪梅、楊梅(やまもも)、鬱金(うこん)、オキナワサルトリイバラ、ホルトノキ、ナカハラクロキ、タウルシ、クールーに藍がある。ねっとりとした染上りは、これらの染料を交染したり、混染するところからきている。強い陽光と湿度が、そうした色相を発達させ、沖縄織物の美しさを形造る一つになる。このなかで藍は、本土の蓼藍と違って、軽く明るい爽やかな色相を持つ山藍である。四方を海に囲まれた沖縄は、交通を船に頼った。芭蕉も福木もそのため、早朝から移植されたが、藍も別名を「唐藍」(からえー)と呼ぶところをみると、中国から使用法を教わったと思う。高級な繊維の桐板(とんびゃん)は主に福州からきたし、臙脂(えんじ)や蘇芳(すおう)は南方貿易によったものである。しなやかな紬は、南中国糸の繭から採り、絹は本土からの伝来による。沖縄で大麻を使わないのは、織物の伝来が比較的早期に本土からあったのを物語るであろう。苧麻を主材としたことは機道具の形からして推測することができる。 沖縄の歴史は、尚王家を中心として五百年続き、南方、中国、本土の仲介貿易によって各地の文化をそしゃくし、独自の形に仕立てあげていった。そして織物は王家の服制にそって発達をとげたものである。服制には幾度か改正があったという。また都であった首里を中心として、読谷の花織(よみたんさんはなおり よみたんざんはなおり)、久米島紬、宮古の紺上布、八重山の白上布といった地方別に特色があったことも、織物の発展に幸した。私たちが目にし得るものは服制の後期の形と、それが商業に移行した伝統の品である。服制でもっとも上位にあったのは、洪武五年以降、中国から藩の徴として賜られた官服であり、国内で織られた紋織、紗綾であるが、文化的には除外して考えてさしつかえない。はなはだ興味深いことに、沖縄織物でもっとも美しいものは、国内の行事に着られたものである。上位にあったのが花倉織(はなくらおり)で、花織と絽織を併用し無地であった。花倉織で残るものは数少ない。ついで絣になる。初期の絣は捺染絣ではあるが、それが八重山の紅露の赤縞となって残っている。その次に括り絣が南方から発達過程内で中国の影響があった。括り絣の手結いと呼ぶ、きわめて原始的な技法は、展開性に富み、沖縄の風物詩といえる抽象的な図柄を数限りなく繰り広げてゆくのである。特に、織返しという左右対照に図柄を出すものは、独自の境地をもっている。素材も絹、紬、麻、芭蕉、桐板、木綿と沖縄で使われた繊維のすべてに及び、単純な紺絣から、きわめて厄介な経緯色絣まで広範囲に発達をしていった。地色も金黄色を頭にして黄、薄藍、紺、緑、葡萄、赤、紫、煤竹など多彩である。華やかな諸取切(むるとつちりー)と呼ぶ総絣を上位として、縞や格子との併用もあるが、みな王家一門の婦人用であり、着る時と場によって、ひとつひとつ着分けがあったときく。諸取切の発達には南方の絣のほか、同じ沖縄の紅型との相互影響を考えておかなくてはならない。紺絣は王子と士族夫人の晴衣となっていた。白絣の色物は王家の晴衣であったが木綿白地に紺で模様を染め出したのは憂装い(うれーすがい)とよぶ喪服で、死者を悼み、涙に濡れたような織物とした。大柄なものほど位が上で、原始的な技法と相まって、絣を美しくしている大きな原因である。ここには貴族工芸特有の脆弱さは、まったくない。威厳に満ちた王家の絣は沖縄織物の華であるばかりか、世界的にみても、南方のイカットと並び称されてよいものである。また、沖縄絣は慶長以後、薩摩を通して海路越後に、陸路北上して久留米にと、本土の絣の原形になっている。沖縄で絣が民衆の手に渡ったのは明治中期以降になり、手結いは本土から絵図(いーぢー)に技法が変わった。絣に次いで花織が、そして綾とよぶ縞がある。綾は母親の美称であり、美しいものを意味する。王家の綾は黄、赤、緑、薄藍と多彩で綾の呼び名にふさわしいものであるという。花織は王家では、組織で出した無地物であったが、読谷、知花、それに奄美では紺地に赤、黄、白と色糸を入れて、夜空にきらめく星のような小柄を織る。王家の織物は王家内でも織ったが、王家から注文の形で織物の産地に図案を渡して織らせた。これを御用布(ぐいふ)と呼び、その図案を御絵図帳とよぶ。御用布は沖縄物の発達と伝統の基盤をつくった。本土でもそうであったが、沖縄では衣服はその人の身替りであった。民俗学で有名な思い手巾(うむいていさーじ)の前身は、姉妹手巾(おないていさーじ)である。沖縄織物は霊的な存在でさえあって、美しさの基本を形造った。着物は死者の棺を覆って、墓に納められる習慣があり、そのために古い織物で伝世するものは稀である。着物が分身であるのを織るのは、仕立下しのとき母親が「衣美(ちすみ)いく美いく、胴頑丈さ(どうがんぢうさ)」と希いをこめて祈ることでもよくわかる。織物は女の魂であり、守護神である姉妹神そのものであった。