日本の染織 草木染 日本の風土が育てた手作りの色 静かなブームとでもいうのか、草木染めは脚光を浴び続けている。これは戦後の着物の流行と無関係ではありませんが、そこには神話といってもいいような、ある種の神秘性がかくされているようです。商品として扱われるからには、なにによらず商業主義という思想の洗礼を受けないわけにはいきません。草木染めも例外ではないのですが、商業主義の思想のもとでは、かなり変質を余儀なくされている面もあります。草木染めと表示された商品が、果たしてどこまで信用できるのか疑わしい、といったこともそのひとつなのですが、それより重要なのは、こういうことによって正統の草木染めが隅に押しやられるということです。ブームといっても、それは草木染という名称の神秘性につつまれた幻想に過ぎないともいえます。それというのも、もともと草木染には、現代の商業主義にはそぐわない面があるからなのです。高度な工業化、大量生産システムの背景があってはじめて流通機構にのり、商品は世にでるのですが、草木染にはそうした生産方式は不可能です。生産能率を重視し、あわただしく作り、大量に市場に送りだすという芸当は、できないのです。のんびりとつくり、わずかな量しかまかなえない。意識的にそうしているわけではなく、のんびりとやっているわけでもないのですが、結果的にはそうみえます。通常の流通ルートにはなかなかはいりこめない最大の理由は、その一点にかかっているといっても過言ではないでしょう。草木染がもてはやされているとはいうものの、その裏にはこうした面もあるわけです。草木染がもてはやされている理由ですが、これは「手作りの良さ」といったこととつながりがあるようです。高度工業化、その結果うまれるおびただしい数の商品。そのどれもが個性を失い、均一化してしまっていることへの反動ということです。草木染は手作りという以外にいいかたはありません。原料の採取から乾燥などの処理、そして染液をそれをもとにつくり、染めるまで、一貫してひとの手をわずらわなければなりません。技法的に多少近代化されている部分もありますが、機械化されている部分はほとんどないといっていいでしょう。というより、染色というのは、機械化できる要素はそうないのです。染液に糸や布をひたす、あるいは糸や布に液料をこすりつける、というだけのことですから。そういう意味では、化学染料にしても同じことです。ただ、染色の手間、時間が段違いに早いということです。そしてできあがりの工合いですが、シロウトの目でみても、草木染かどうかなかなか判断がつかないくらい微妙なものです。いや、専門家でもみただけではわからないほどなのです。化学染料そのものが天然の染料を分析して、それにもとづいて合成されていますから、これはむりからぬところがあります。分子構造は非常に似通っているものが多い。ただし、そっくり同じといえない、微妙なちがいがあるというだけのことなのです。どこがどうちがう、といった説明は非常にむずかしく、手作りの良さとか、自然の色とかいった抽象的な表現にならざるをえないわけです。 歴史的にいえば、草木染は人々に夢を与えてきたといえます。現代のように色が氾濫するほどに豊かではなかった時代、人工的に得られる植物染料は多くの人にとって憧れのまとであったでしょう。一枚の着物が現代とは比較にならないほど貴重であった時代、当然その染色も貴重なものであったにちがいありません。使い捨てなどといわれる今日の文明パターンに慣れたわれわれ現代人には、とうてい理解の届きかねるところがあると思われます。ものを大切に使うこと。これは物のありふれていない時代にこそ通用することで、現代社会では通用しにくいことです。同じようにカラフルな現代では、色のひとつひとつに注意をはらうということも、あまりないでしょう。モノ同様、色も粗末にあつかわれているといえます。草木染と化学染料による染めが、どちらがいいとか、悪いとかいったことではなく、どう認識され、扱われているかが、実は問題なのだと思います。公害問題を契機に、現代の機械文明は曲がり角にさしかかっているといえます。エネルギー危機に代表される資源問題にしても、高度文明社会の行き着く先を暗示しているといえるようです。バスに乗り遅れるな、とよくいわれますが、われ先にと乗ったバスが、とんでもないところへ向かっているのに気がついた、というのが現状でしょう。飛躍しましたが、「心」がどうこうといったことが問われているのも、人と人、あるいは人とモノの接点が失われたところに原因があると思われます。文明ということからいえば、草木染もその申し子といえます。植物染料の色は、はじめてみた人の目にはどんなに鮮やかなものに映ったことでしょう。丹精こめて制作者が染め、それを買った人が大切に身につけるという関係があった。モノが仲介したとえます。すばやくつくり、粗末にきる、ということではこの関係は稀薄なものとなります。多くの人が、心をこめてつくられた着物をみにつけようとしている。手作りの良さは、そうした人のきもちを支えている。が現実にはこの関係は必ずしも的確な形では結ばれていないわけです。現象的なものでいえば、多くの草木染愛好者がいるにもかかわらず、染め手は経済的に恵まれていないといったことがあげられます。そのことにあまりこだわらないで、つくっているのです。それゆえに、現在まで技術が伝承されたともいえますが、そのこと自体、現代文明への痛烈な批判とも受けとれないことはありません。