信州の風土と美しい縞紬・本吉春三郎
信濃は略して信州といいます。信州の紬では上田紬にふれるのが順序でしょう。上田は上田盆地の中心に位し、千曲川の流れに沿うた養蚕や機業地として知られます。ここの紬の歴史は古く、江戸初期の寛文時代にさかのぼるといいます。井原西鶴の「日本永代蔵」に「……うえしたともに、紬のふとりを無紋の花色染にして、同じ半襟をかけて、上田嶋の羽織に、木綿うらをつけて……」という一節があります。紬の代表格の結城紬も、はじめ縞物でした。今も結城の人達は買継商を縞屋呼んでいます。上田紬は縞織物です。最近、少しばかり絣もありますが、上田紬を代表するものではありません。縞を「嶋」とかくのは西鶴(元禄6年没)時代から明治まで、例えば尾崎紅葉の「金色夜叉」や樋口一葉の作品にも用いられています。西鶴のいうふとりは太織のことですが、紬や木綿を絹物対して太物ということからきています。無紋の花色染は、無地染の藍染ということです。紺より薄く、浅葱色よりやや濃い藍の色を花色といいます。縞はもと、節とか条布と呼んだものですが、室町時代にインドから南方の島づたいに渡来した縞木綿を嶋渡りとよんだことによります。現在の上田縞は、たいへん色彩で美しいものです。しかし、縞小紋のすっきりとした粋なものにくらべたら、少しばかり野暮ったい感じにも見えます。紬の着物本来の持ち味は、たとえば新内や歌沢のように粋で都会的なものに比べて、故里の土の匂いを失わない素朴で暖か味のある民謡の味にもたとえられましょう。上田紬は丈夫なことでも知られます。そして高価でもありません。縞紬は気安く、しみじみとした着心地が大切でしょう。上田は上田盆地の中心に位し、近くを流れる千曲川は、上田盆地から善光寺平に入り、長野市近くで犀川と合流し、新潟に入ってから信濃川となり、日本海にそそぎます。上田紬はこの千曲川沿いに点在する、三十軒ばかりの機屋で織られます。信州は四方を山にかこまれて海にのぞむところがありません。山々から流れだす川ぞいに、ややひらけた盆地と平があります。そして伊那紬や飯田紬のできる伊那地方は、伊那谷とよばれるほど山がせまって、諏訪湖を源とする天龍川の急流がうねり流れています。伊那谷と駒ヶ獄をはさんで背中合わせの木曽谷は、もっと山深い地域で「木曽へ木曽へと積み出す米は それ伊那のあまり米」の木曽節にみるように、米も作れないし、養蚕もありません。大正の末頃、私は木曽奈良井宿に数日滞在しました。その奈良井の友人は、後で上田に住むことになって「ああ上田は天が広い」と嘆息をもらしました。最近、奈良井宿の街並は文化財に指定されましたが、そこのTOKURIA HOTELとローマ字でかいた看板と、30年も張りかえていない茶色になった障子紙との、おかしなコントラストを忘れません。数年前、上田紬の業者の集りに出席しました。上田紬は文化財のレッテルはありませんが、ささやかながら産業として発展し、街にデパートやビルが建って賑やかでした。