日本の染織 更紗 異国情緒を染めた布 本中カラー写真の資料に木版摺更紗おだまき文という鈴田照次 作 鍋島更紗 という和更紗がある。美しい色彩を今日に伝える品であり、おだまきという植物は私も自宅に植えている。織物ゆかりの植物である。おだまきについてはこちら 青色がその作品にも鮮やかさを保ち、更紗特有ともいえるカラフルな色彩で目を楽しませ、異国情緒を日本が吸収した一品といえる。そうした木綿に染めたカラフルな染文様の美しさは更紗の魅力である。更紗の語源は、このページ内で重複するかもしれないが、ポルトガル語のサラシャ、あるいはインド西海岸の古い港町のスラットにあるとされている。室町時代の末期そして江戸時代にかけて、ポルトガル、イスパニア、オランダなど南蛮船や紅毛船などの船によって日本に運ばれてきた。更紗に対してなんとなく異国的なイメージをもつのは、小紋や友禅とちがって原産地の風土の匂いからエキゾチシズムを感じとるからである。日本は更紗が運ばれてきたときにまだ木綿という素材を知らなかった。新しい素材としての木綿、さらには異国の染めによってカラフルな色彩は素晴らしいマテリアルに対する驚きは計り知れないものとなった。またこの時代に同じく輸入されたものに唐桟(とうざん)がある。この縞木綿は先染めによってできあがったものである。染めものの木綿と織りものの木綿が日本に運ばれたのである。 更紗はインドをはじめとして、ペルシャ、ジャワ、タイ(シャム国)などの東洋の諸国に、特色をもってうまれた色美しい染文様である。少しの例外はあってもその生地に木綿が用いられている点は共通している。木綿の原産地はインドとされているが、わが国に伝えられたのは、中国から朝鮮を経由して戦国時代の末期とされている。木綿は安土、桃山時代になって次第に普及し、江戸時代の中期になるとほとんど全国的な栽培となった。絹にかわる素材として競うように栽培を拡張していった。当時の百姓たちは、米をつくるよりも木綿栽培のほうが収益が多いため木綿づくりは力を入れるものが多くなった。そのために米をつくるものが減り、江戸幕府は木綿栽培に制限をいれなければならないほどであった。この木綿栽培は衣生活が飛躍的な豊かさになったのはいうまでもなく、柳田国男によれば、松尾芭蕉の元禄時代の初め頃は、まだ江戸の人にまで木綿は優雅なものとされていたという。七部集「はんなりと細工に染る紅うこん」「そめてうき木綿袷(あわせ)」などにそれがうかがえる。結城市の弘経寺の屏風絵を残した詩人与謝蕪村は「片町に更紗染めるや春の風」の句があり、日本の木綿づくりも、また更紗を染める技術も一般的になっていることがわかる。「散る音も色も更紗の紅葉かな 犬子集」には、更紗の色彩美が日本人の衣生活に浸透してきた様子がうかがえる。 更紗には、皿紗、佐良佐、更多、華布、印華布などの字があてられ、暹羅染(しゃむそめ)、砂室染め(しゃむろそめ)はシャム(タイ)の更紗を意味する。技法としては、インドでは筆や刷毛による描更紗(かきさらさ)と、チーク材に文様を彫刻した木版で捺染するブロックプリントが用いられるのが特色である。また、ジャワ更紗は、バチック、すなわち今日の我が国では蠟染(ろうぞめ)と同様に、蠟防染の更紗である。さらに文様表現に金泥、金箔を用いて金更紗はシャム更紗を特色づけるものである。絹地のものを用いたペルシャ更紗もみられる。更紗の文様には、南国熱帯地方の草花樹木などを中心として鳥や人物などを配して写実風のもの、唐草文様の形をとったもの、幾何学文様として配列したものなど多種多様で、インド更紗のベーズリ模様は現在、そのアレンジされたものがヨーロッパの文様に多くみられる。色彩はインディゴ(藍)、黄色のある緑、エンジ色など、強い太陽光線の下にふさわしい強烈なものが多い。しかし、インド、ペルシャ、ジャワ、タイなど、それぞれの風土や国情のちがいは当然みられる。ヨーロッパでも、ロシア更紗、ドイツ更紗などがありそれらは東洋の更紗を模したものであるという。その中にあってフランスのジューイ(パリ郊外の地名)更紗は最も有名である。ジューイ更紗を大成したオペール・カンプは、弟子をペルシャに派遣して東洋の更紗技術を学ばせたといわれている。またナポレオンは数回にわたりオペール・カンプの工場を訪れ、フランスの産業として更紗染の将来に大きな希望をよせたという。しかしジューイ更紗はナポレオンの敗退とともに、敗走する軍隊により破壊され、ナポレオンと運命をともにして消滅した。日本では、彦根藩の井伊家に彦根更紗と呼ばれるコレクションがあった。しかし残念ながら関東大震災により東京で焼失してしまいいまはみることができないものになっている。 更紗についてもその源流を単純に南方諸国にもとめるだけでは日本のきものとして生きるものではない。東京更紗の歴史をさかのぼってみても江戸末期から百年以上の年月を経て日本の更紗として換骨奪胎(かんこつだったい)されたものであることがわかる。きものは陶器や漆器のような美術工芸品ではなく、血の通った人間とともに存在するものであることはきものを語る最も重要なポイントである。