1. 地機織り 結城木綿 各10万円 北村織物

    結城木綿は、結城紬が結城の織物の中心になり衰退し、一度生産が途切れている。結城木綿といっても、極度に細い木綿の原料を探すところから始まり、材料集めが大変であった。この極端に細い木綿を使用しているので現在の<唐桟 とうざん>に近い。唐桟とは、船でわたってきたものという意味の<唐>とインド南東部にあったマドラスの港のサントメ(ポルトガル語 São Tomé )の<サン>で<桟>という言葉の成り立ちが一番有力説として近い。とくに、船をわたってきた、というところには、種子島<鉄砲記>の記述にのこるように、この1543年桃山時代に種子島から大量にポルトガル船からインドの木綿布を買って日本に普及させた。ポルトガル船にのりくむ者は、当時、中国との交易を望み、高級品を得るためには中国に銀を渡す必要があった。当時日本でとれた銀が激安で手に入るため日本との交易は盛んであった。インドの木綿織物とできるかぎり銀ととりかえた。桃山時代で木綿布や縞をたんにサントメ、São Thomé  サントメ縞とよんでいたという。その後、日本でも木綿織物が定着し生産されてきている。

    この細い木綿布は結城の特産物であったものの再現もこめている。地機織りのため木綿布としては10万円というのはたしかに高級品である。

    結城木綿 縞
    結城木綿 縞