1. 民藝 (予定) 秩父太織

    秩父(ちちぶ)ときくと、秩父山脈などの山がそびえる地形を思う。地機織りが結城と同じく残る秩父太織 という 私がまだ知らなかった織や糸へのこだわりをもつ生産と技術は今後も残す、残していかなくてはないらない民藝活動であることは間違えない。秩父太織の北村さんは、スウェーデンなどの日本から遠いところでも実演するなど、活躍の場を増やしている。

    なんでも、生産に関する秩父太織の話しをきくと、今後の生産性は、実際に秩父へいって見学してチェックしておきたいものがある。秩父太織は結城と同じく、地域に根をはった伝統技術をほぼ変化させることなくいまだに続いているというつくりかたには、衝撃には、ハッとさせられるものがある。

    北村さんが結城に実際におこしになられ、骨董市で発見した<きぬたうちの道具>は骨董市では、くるみをわる道具だと説明されたのだが、<これは きぬたうち の道具ですね。>と鑑定され、少々安堵した。あとは秩父の生産性の現況を肌で感じるだけだ。

    (原稿未定 追加予定)2014.7.

    2017.6.29.

    ときが流れ、いよいよHand weaver Magnetic Pole 秩父太織(ふとり)と北欧織 Kumiko Kitamura  Maya Minamiさんの工房へいく




    北村久美子さんは、地機織りで織物を織っている、というプレゼンがあり私ども北村織物本場結城紬にきてプロモーションビデオをみせてくれた。まだその頃、北村久美子さんが独立して工房をつくるのだというビジョンは私たちには知らせていなかった。秩父太織(ちちぶふとり)という秩父の誇る織物は、珍しく生産者がほとんどいなく、秩父銘仙の総合部門という形で北村久美子さんは伝統工芸士に登録されており、そうした枠のないくらい希少な織物なのだ。私は北村久美子さんがうちにきたとき、プロモーションビデオにうつる北村久美子さんが約20年の修行で秩父太織をまるで恋人のようにいきてきたのではないかと感じた。なぜそう思うのかときかれると困るが、私も結城紬の染色部門絣くくりで伝統工芸士を取得したのが32歳で、2回目に北村久美子さんがMaya Minamiさんという仕事のパートナーをつれてきたとき、まだ私は伝統工芸士ではなかった。プロモーションビデオには北村久美子さんが北欧で地機織りをする場面があった。Maya Minamiさんは北欧織りの独特の織組織をうみだす高機織りの四枚綜絖での技術をものにしようとして北村久美子さんのあとをしっかり追っているようであった。まず、秩父太織は、繭が生きた状態でさなぎがくいやぶるかどうかという時間との勝負でいわば<生がけ なまがけ>にこだわりがある。これは結城紬にもあって繭がさなぎが生きた状態で繭を煮込むことで上質な糸ができる確率がぐんとあがる。秩父太織はさらに結城紬と似ているのがセリシンという繭(絹)の光沢を煮繭の工程でおこないはずしてしまう。最初はざっくりとして木綿のようだがその風合いは織物にして着物にし着こなすうちに、うちにこもった真珠のような光沢がでてくる。布が100年以上輝き続けるというのもおそらく共通してくる。Maya Minamiさんは座繰り(ざぐり)もなれたもので道具が壊れるのではないかというような高速回転で手早く座繰り糸にしていく。繭がそれにつられて踊るようであった。じつは見学したときの画像は最小限にすることでこれからこの工房を訪れる人のみる感動として残したいので三枚のみとさえていただく。素晴らしい見学だった。工房の名前は北村久美子さんとMaya Minamiさんの北南が由来のようだ。 書き手 北村陵
  2.  


     

    秩父太織について 続編記事 2018.4.24.

    まず、秩父太織についての続編記事のまえに、結城紬について述べたい。結城紬は糸の不足が新聞社がとりあげ、この記事はどういったことが書かれているのかについて述べたい。実はもっとも情報に鮮度のあるツイッターでも新聞記事との公開との時間差があったことを述べておきたい。私は東京に親戚がいるので郵便でこの記事が届きいつになったら公開されるのかというほどすでに原稿が手元にあり時間をもてあましていた。SNSで最も情報に鮮度のあるツイッターでも公開が遅かった。糸の不足問題も、いよいよ北村陵さんのいっていることが正しかったとなると、一体、世の中は何を基準に結城紬を信用しているのかさえわからない。そもそもなぜ生産者がSNSをやっているのかについても、もっと消費者は真剣に考えていただきたい。ただやってるという暇つぶしならそもそもネットはいらない。染色についても同様であったように新聞社が取材している時点においてすでに情報には鮮度がないことに、いい加減気がつくべきではないだろうか。さてこの結城紬の記事は東京新聞が夕刊で記事にしたが、重要な点は問屋がくちをはさむ問題になった点である。通常生産者の組合にさじを投げてきたがいよいよ自ら取り組むべき課題でじっとあぐらをかいていたらとんでもないことになったというような話のいい例である。だいたい市場にでた結城紬はどんな高額収入な人にとっても、どう考えてもおかしい値段となると本来忙しいはずもない私のような生産者が見学対応におわれる始末。そもそも問屋さんの人には関係ありませんよね、というような問題でも取材や代表者として顔を出して必要以上に問屋さんは結城紬を吹聴宣伝してしまった気がする。では肝心の結城紬直接従事者はどうかというと、生活がおぼつかないような感じといってさほど誤解がない気がする。こうなってくると私もバイトを再開せざるを得なくなったわけである。それから保持会であるが、これは文化庁がくちをはさんでくる、ということはいよいよ結城紬も末期ではないかと消費者は思うかもしれない。確かに否定はしない。問屋さんが何かと顔を出したりくちをはさんできたのは、国が承知していないはずもない。それほど茨城の指導所のような、なぁなぁな組織ではない。問屋さんがくちがはさめない宿題を出してあげれば生産者は生き残りの確率が上がるのではないかと考える。それが保持会の仕事である。これについてはSNSなどで今まで私の知る範囲については公開してきたので説明しないが、国の重要無形文化財の指定を受けている織物やその他は基本的に最終的に生産者が生活できないレベルまで低下した場合になった時、国が救済するシステムになっている。それが伝統的工芸品の中でも国の重要無形文化財の指定のかかったものの違いといえる。文化庁の目の付け所の凄さはそもそも物品に『国の重要無形文化財の指定』をかけているのではなく、『技術そのものや生産方法』に指定をかけているのである、というのを明確にしている。こうなると当然、問屋は出てこれない。もっとも賢い考えはこういうシステムをむやみに利用せずに自力でなんとかしていこうという姿勢であり、あくまでそれは結果論であるということである。

    さていよいよ本題の秩父太織についての続編記事である。

    織物である以上、私は『原料』と『糸』はどういうものであるかというのを明確にする必要性を感じている。なぜならば、すべての工程はその糸の特徴(特長)を最大限利用していくために複雑難儀な生産技法が用意されているからである。逆説的に言えばしっかり説明できない織物やこだわりが伝わりにくいものは生き残りが厳しいとも言える。それくらい織物にとって重要かつ大きな比重をしめているのが『糸』や『原料』ともいえるのである。

    さて、秩父太織の『糸』や『原料』についてかいていこう。秩父太織の『原料』は当然、養蚕によって支えられている。秩父太織の『原料』は北村久美子さんと南さんのいる工房から徒歩で数分のところにあるというような環境にある。(上記画像参考) 私が注目しているのが養蚕農家さんが従来の姿をとどめたままいまに現存していることに驚きをかくせなかった。以前も今も述べてきたように結城は鬼怒川の氾濫を恐れて養蚕農家を福島県に委ねている。私が幼い頃に近所に養蚕農家は確かにあったがいまはないので見る機会がない。秩父座繰り糸、および北村久美子さんと南さんが使っている秩父座繰り(ざぐり)糸がここの養蚕農家さんからでた『原料』でかつ繭が生きた状態で繭を食い破って出てくるかどうかの時間との戦いである『糸』のことは以前述べた。工房の目に届く範囲に養蚕農家さんがいる、しかも原料の作り手(養蚕農家)さんにも若い後継者がいる、すでに『原料』の付加価値は二重丸である。彼女たち(北村久美子さん 南さん)はその繭を一個でも無駄にしないためにともっともいい状態で『糸』生産していくためだけに専用の業務用冷蔵庫を持っているのである。私はコンビニ夜勤でもこれと同じものを使っていると思ったがここはコンビニではなく染織世界であり、その冷蔵庫が個人レベルで持っている方が不自然だったのであるがそのことに気がついたのはあとでカメラの画像記録がない。枚数は相当とっているが私の記憶にあったのがさいわい通常見逃している。 この『糸』『原料』の管理体制は三重丸といえる。『原料』と『糸』だけでみてきたが、国の重要無形文化財の結城紬と比較してもむしろ優れている。北村久美子さんは秩父太織の糸の強度は鉄並みに強いと話していたがその秘密は原料からこだわり抜いているからでありそれを支えているのが養蚕農家さんである。北村久美子さんのお父様に、あったことがあるが、はやく嫁にいけとぼやいていたが冗談ではない。北村久美子さんにとって世の男性(私も含まれる)は明らかに秩父太織より魅力がない。

    次に、秩父太織の染めについてかいていこう。通常、化学染料を日本が導入した時期に皆で寄ってたかって飛びついたのはいうまでもない。結城紬も例外ではない。秩父太織は埼玉県の山が多い地形にある。言ってみれば他の産地より天然染料が豊富で化学染料の手を借りる必要性がない。栗などの廃材を最大限有効活用してそれで染めている。 この姿勢は染織関係者は見習うべきものが多すぎる。それから草木染は過去に公害問題で社会問題になり著しい低下があったことはいうまでもないが結城紬の染色部門の伝統工芸士の私の解釈は、ではどういう時に公害問題がおきない草木染が可能かという問題があるが、それは大雨や洪水の時に間接的にかませている媒染剤(ばいせんざい)などの金属を流すのである。どういうことかというと、そもそもこの世には質量保存の法則がすでにある。何かをてに入れたら何かを失うというのではなくそもそもゼロですべては同じになっているはずなので金属が大雨や洪水ですべてを洗い流すように自然へ金属も返してあげるべきなのである。これより的確な意見はきちんとした下水道管理であるが世界でもその環境が整っているのは日本だけといっても過言ではなく、すべての国々の染色には通用しないのである。私は結城紬も分業制からいずれ自分でやらないといけない時代だと思ったので染色投資をしたことがある。その記事をはりつけておこう。染色についての記事

    最後に織りについてである。北村久美子さんと南さんの使う織り機に実演見学した方は注目していただきいたい。日本最古の織機の地機と複雑な織組織が可能な高機の二つの手織り機を巧みにつかいわけている。秩父太織は地機で織っていることと、現代の精神や考え方がとりいれやすい高機であるが、ここで北村久美子さんの相方、『南さん』が登場する。北欧にただ、あししげく実演していただけの『北村久美子』さんに終わらなかった。北欧織りを覚えるだけの力量の問われる重要なポジションを担っているのが『南さん』である。北欧織りと四枚綜絖で現代にとけこみやすい新しい高機織りの織組織の秩父太織と、北村久美子さんと南さんの人生はまだ始まったばかりなのである。これらがすべてたてよこともに交わっていくとき奇跡がおこる気がしてならない。ここまでくるともはや国の重要無形文化財の結城紬でも勝ちめがないような活動を平然としているのである。こういう織物に巡りあえただけでも私はある意味ラッキーとしか言いようがない。一般見学は受けていないようで見学不可の工房になっている。だが年に一回工房参観日がある。

    (書き手 北村陵)