一色一生 志村ふくみ 一色一生という本のタイトルは藍染めには10年かかると思うとしていたがどうやら一生かかると人間国宝志村ふくみが若かりし頃さとった言葉がタイトルとなった。白洲正子の衣匠美という本に白洲正子の愛すべき染織家というらんに登場する幻の絣<ゆみはま絣 弓浜絣>の伝承者の嶋田悦子さんが登場しているが、志村ふくみ氏の一色一生の著書の中盤で、弓浜絣の産地訪問の記事がある。<民芸144号>に稲岡文子さんが<弓浜絣>の再現の悪戦苦闘と再生について記述されている。稲岡文子さんの長女のご主人が嶋田太平さんといい<ゆみはま絣>の嶋田悦子さんの関係筋とおもわれ、伝承が続いていたと考えられる。 志村ふくみ氏が草木染めと藍染めによっての自伝と染織回想である著書といえる。特に志村ふくみ氏の思いが伝わる部分とエピソードを引用してみよう。<片野さんに(藍染め)を断念するほかないと申しでたところ「私はいつ死んでもいいように娘(藍染めと藍がま)に伝えてある。ただ繰り返しやる以外はない。自分も一夜にして腐敗した甕(あいかめ あいがめ)の側で涙を流し、こずみこむあわれな日もあった。この藍建ての秘儀は教えておぼえるものではなく、藍と自分とが一体になる時点を掴むまで繰り返す以外はないのだ」と諭された。また志村氏は陶芸界の重鎮、河井寛次郎先生に伺って相談しようとすると「この道は厳しく生半可な決心でやっていける仕事ではない。子供を抱えながら、の片手間では材料の浪費、時間の浪費。創作の道は広いようにみえるけれど、一歩踏み入れれば、大変なものだから」といわれ、落胆して家路に帰ったという。最後の思いで、木工の黒田辰秋先生に相談にいく。黒田先生は「自分は怠け者で、好き嫌いが激しいから、木工、これしかできない。だが、自分が本当に使いたいもの、人にいつも愛着をもって使ってもらえるものをつくりたいのだ。その道のりは厳しく地獄同然の時もあるが、そこに又、本当の喜びもある」と。工芸の道はひたすら「運 根 鈍」であるといわれたという。 また西陣の染織探訪では、西陣の浅野織物の浅野宏氏は「10年ほど前からインカ、正倉院などの古い裂(きれ)を集めて組織図を集録し、わかったことはその国の風俗、宗教、文化等その民族の違い、それらすべてが織物にこめられているということだ」と志村氏は激奨の言葉をうける。昭和の染織文化の背景が伝わる書物といえる。 北村陵 北村織物