ナポレオンの登場、古典様式とリヨン織物

ーーーーーーギリシャ、ローマは格調高い古典様式がいかに文化が本物であったかということを示す、現存する遺跡などから、優れた文化が築かれていたことを物語っている。ナポレオン・ボナパルト皇帝は、ギリシャ・ローマの古典様式をフランスの文化へ積極的に取り入れようとした。特に彼の皇帝妃となったジョセフィーヌ・ド・ボーアルネの影響を強く受けたといわれているが、古典様式に美をみいだすフランスの新しい秩序と権威をナポレオンはつくろうとした。つい最近に貴族となった伯爵、夫人などを前に「あなたがたは次のことを受け入れてほしい、高貴であってもらいたい、そしてあなた方の衣装や室内装飾に金をおしみなく使って、見すぼらしく見えないように」と演説した。ギリシャ・ローマの古典様式を規範として旧体制(アンシャンレジーム)の華麗さを我がものとしてそれを凌駕しようとしたのである。ナポレオンは昔のままの儀礼を復活し、宮廷においても臣下にそれを服従させた。ナポレオン登場の以前の古典様式は、ルイ16世時代にポンペイ遺跡の保存運動も一般的な風潮として次第に文芸、美術、建築などの分野に浸透していた。特にルイ15世のポンパドール夫人はイタリアへ旅行へいき、イタリア(古代ローマ)の古典様式の素晴らしさを見いだし、ナポレオンがのちにフランス(自国)でおこなう、ギリシャ・ローマの古典様式に回帰することを提唱している。ナポレオン皇帝は、また独裁者でもあった。彼が従服したイタリア、ドイツ、スペインなどの貴族たちは、すべてリヨンに赴き、リヨン産絹織物を公式に着用したという。ナポレオン帝政時代はギリシャ・ローマのキトシやチュニックに似た非常に長く、ゆったりとした外被が用いられ、こんにちのフランスの儀礼用にも残されているという。フランス革命で壊滅状態になっていたリヨンの絹織物産業に手厚い庇護をナポレオンは加え、外国人から数多くの注文がとれるように計らった。ナポレオンのもとでは宮廷人は、とにかく金をおしみなく使えと演説されていたために天文学的な数の織物を必要とした。ーーーーーーーーー西洋に関する織物に興味があればヨーロッパの皇室がある国々の文化はさけてとおれないものである気がする。皇室のある国は、貴族が存在し、貴族を中心にした文化をきずいてきた部分が多々ある。王様に位置する存在の誕生はエジプトかもしれないが、ヨーロッパの国々は国の数が多く、それぞれの貴族文化をかこにふんでいる。 北村陵 北村織物