衣匠美 白洲正子 撮影 藤森武 白洲正子(しらすまさこ)は日本有数の随筆家であった。白洲正子が積極的に好きになったのは手織りの紬や八丈、木綿絣といったたぐいのものであった。そうした親しみのある織物は、ここでも民藝の父柳宗悦の存在が光る。著者は民藝運動が柳宗悦氏によってはじまった時分、銀座あたりにもきがしが現れていたという。白洲正子が愛した染め織りびと という記事は大変参考になる(著書の私物になっている織物でその作家ものが多い)。まず、郡上紬の宗廣力三(白洲正子と知り合ってしばらくあとに人間国宝になる 白洲正子氏の私物の郡上紬は宗廣力三氏の初期の作風、水紋とよばれている絣が目立つ)、芹沢銈介(工芸の表紙を担当 沖縄の紅型を志す モダンな色は現在でも高い人気をもちつづけている 日本民芸館の内装が美しいことからもデザインの能力が柳宗悦氏に信用されていたことがわかる)など今日でもよき手本となりうる染織家たちであり、また同時に民藝運動を支えてきた中心人物たちである場合がある。あえて、ここからは、箇条書きの私の原稿に忠実にかきのこすとして、嶋田悦子という人物のなもきになる。柳宗悦が<かつて夜見ケ浜は綿も植ゑ(え)られその和円村あたりには絣の手織も動きましたが衰えました>との意の記述を記す、通称<ゆみはま絣>の復活と再生に尽力した人物が嶋田悦子との紹介であとで調べる。また、本郷大二 氏もきになる。安曇平の天蚕の美しさにひかれ農家の納屋に眠っていた糸を求めそれをもとに天蚕織物を制作とある。このころから天蚕は貴重な野蚕で入手困難と思われる。また、もうひとり、井出孝造 氏もきになる。白洲正子に出会いその助言を受けて辻が花や更紗の伝統的な作風を研究、昔のものとは異なる趣が違う作品をつくりあげた。とありその人柄は本文<かくれた名人>というところからもうかがえるが、<世間からは変人か珍品に見えるかもしれないが私にしてみれば、彼らの方が常人なのである>と記された職人のひとりである。このあたりに紹介されている人物、偉人は柳悦孝、柳悦博などの民藝関連のうごきと密接な環境であったということも共通している。民藝運動の活発さは残した作品の数の多さにも理解はたやすくみえる。随筆家白洲正子の本は、はじめてよんだがこうした時代のひとと会話してタイムリーに作品をみているのであるから、著書のみせるパフォーマンスは圧倒的である。こうした人物たちの作品がタンスにおさまっているというと、着物好きは鼻血がでてとまらないものである。もう少し、白洲正子の示す、思想もものもいいものだけが残るという眼の世界観をみたいのであとで著書を紹介していく予定である。 北村陵 北村織物