<北村織物、北村勘一>

つづり

弐代 北村勘一 <kanichi kitamura>

 

毎日新聞社より人間国宝指定。(しかし、管理人は結城紬には人間国宝はいないと断定する。結城紬は今は団体指定である。個人になることはない。これは過去の代表者ということで打ち出されたものだ。よって結城紬には人間国宝はいない。昔の言い伝えにすぎない。)徹底的な統率力を持ち、戦前からこの地を守った。先代が武家であるが、戸籍上、記録が無いと思われたが北村直三郎がいた。妻北村いち。したがって、二代と称す。青色桐葉章を日本国天皇から受賞。代表作、200十字絣(茨城県結城市保存)。妻は機の音を聞いていないと落ち着けず、休日をつくらないシステムをつくり陰の大黒柱的な活躍をし人生を全うした。

茨城県本場結城紬織物協同組合 保存 同左
同上 同上

 

160蚊絣 男物 織り 北村 しわ くくり 北村 勘一 昭和35年制作 結城市 市保存
とんぼ 織り 北村しわ くくり 北村勘一 昭和35年制作 結城市 市保存

 

記載新聞より、初代北村織物、北村直三郎氏は紬に携わり、妻、北村いちは、いざり機<現在は死語>じばた(地機)による日本最古の織り道具、その北村いちは、当時したたかで、きんじょほうぼう、織の神様と言われ、その息子である北村勘一はあとを継いだ。結城武道と町田家より、武士という家紋が残され、先祖代々、武士家北村、つむぎ一家、という称号と同じくして、天皇側近(近衛兵このえへい)に指定配属される。戦争を体験する。特にその当時の貧困の中、耐えた。それは、戦没者の志と国の代表として、旧名、こばな(小塙)の北村という説が残され、現在、に語りつむがれる。陣随をくむ意志を残し72歳に死ぬ。元織物協同組合長理事長だった。

   

北村 トミ

裸電球をぶ らさげて、夜中も働き、休日が無いころという時代の織り

昭和時代

北村 しわ

 

糸を巻く写真であることは誰でも分かる。今はこの工程はモーターで管に巻く。均等で効率よく、糸のムラ(太さのばらばらさかどうか)を糸が切れた時分かる。織りと素材面でもモーターの方がいいのでそうなったのであるが、三工程は国の指定を受けている作業は機械化出来ない。(織りは機械のものもある。)それが糸を扱う職人の苦悩とやりがいであり、未だに手紬糸は重宝されている。

平成11年1999年4月 当時奥順株式会社社長より織元として登場した。私の祖父、祖母である。このころ私の父で3代続き、紬の産地として紹介された。
結城紬は岐阜から技術伝達をうけて発展し、後、鎌倉、室町時代の幕府献上品となり、江戸時代には縞が開発される。卸商ではその名も縞屋とよばれるほどになる。かねて技術が高度に上がり昭和になり国の重要無形文化財、伝統的工芸品に指定される。
文献では、当時奥順株式会社卸商からはこんなコメントが載せられている。
<40にも及ぶ作業は分業化され、すべて手作り。おばあちゃんは糸紡ぎ、ご主人は絣くくり、奥さんはいざりを織る。織り上げた反物を縞屋で取引し、帰りに結城市の商店街で買い物をする。これが今(平成11年度のこと)でも残っているんですよ。そうした織り人さんの家族の絆。>
絣くくり<昭和時代> 墨付け<昭和時代>昔は野外で行なった。今も天気によっては野外で行なう。
絣くくり絣くくり<北村勘一>紬の柄は絹糸(手紬糸)に墨をつけ、その墨の跡の上を木綿糸でくくり染色して、防染し柄ができる。紬のたて、よこともこの工程でできあがり織られて柄となる。 糸取り<真綿から糸を取る。後、この手作業による糸とりは文化的価値が見直され、文化財指定工程<三要件>のひとつになった。
糸とり 手紬糸の生産

 

昭和から文化財指定とともに全国に結城紬の

名が通り結城紬の実演が増えた。

三代目北村敏雄 北村トミ

三代北村敏雄は県単位の受賞で茨城の功労賞を受賞している。このとき、笠間石の灯籠の職人も受賞している。

北村敏雄 北村トミ

こちらは、北村織物の倉庫にしまってあった。推測だが、表彰が奥順株式会社の作品を北村織物が制作して受賞したものと思われる。

でなければ、北村織物(保存)にはないはずだ。奥順株式会社(保存)においたほうがいいと思うので、奥順に返して、奥順に大切に保存してもらうことにする。

現在 上記一枚賞状 奥順保存

 

 

功労賞受賞の三代 北村 敏雄

 

検査基準とその昔、今
今日(こんにち)の本場結城紬は厳しい検査基準を満たした着尺だけに証紙が貼られる。

検査のなかった当時の本場結城紬が北村織物では着物として残っている。検査には寸間何本糸がはいっていないといけないか、とか糸の太さも検査にもりこまれ現在の本場結城紬(地機織り)は糸が細い。ゆえとても繊細で軽くて暖かい。基準を満たしているので糸の細さも糸をとってもらう糸生産者にも細くとってもらっている。検査の無い昔のものは、ここでは北村直三郎から北村勘一(括り代表者茨城県の認定者)、ほぼ勘一のころであるが現在でも着物として残っているのでお手本、当時の技術が分かる。極端に細い糸を使用した着尺と現在では使用されない太い手紬糸を使い地機織りをしていたのだ。現在でも、注文によっては太い糸を意図的に用いることもある。

これをもとに2008年、北村織物では明治時代の細い糸を選んで現在でも検査より細い手紬糸を使用して復刻版の着尺を製作した。なお、作業工程は同じであったが糸が細いので普段より時間がかかった。

上記写真<明治時代の着尺の再現に成功>

北村織物四代目

北村初雄 北村道子

平成10年代

伝統工芸士 北村 初雄

認定部門: 染色部門

従事年: 昭和46年より現在の仕事に従事

伝統工芸士 北村 道子

認定部門: 製織部門

従事年: 昭和55年より現在の仕事に従事

認定年度: 平成14年度

 

平成12年度

第25回 全国伝統的工芸品コンクール

全国商工会連合会会長賞 受賞

北村初雄

<優秀伝統技術、色>

作品名<十字縞>

平成15年度

第28回 全国伝統的工芸品コンクール

経済新聞社社長賞 受賞

北村道子

作品名<タテ絣>

平成17年度 日本民藝館展
奨励賞

北村陵

作品名結城紬 蚊絣

平成17年度 
第30回 全国伝統的工芸品コンクール

日本経済新聞社社長賞

北村陵、北村道子 <合作>

作品名<縞に華十>

平成10年代

五代 北村 陵

従来からの基礎的な絣の再現 平成10年代絣の基礎技術習得 北村 陵

絣の名称 全体像 拡大
蚊絣
菱十字(菱)
華十字(ベタ)
キの十字(とんぼ)

 

北村織物四代目 北村 初雄   平成23年度 鹿嶋神宮にて

平成20年代

五代 北村 陵

 

五代 北村 陵

<地機織り基礎技術習得訓練>

角帯

2010年11月7日より 地機織り 角帯

角帯2

2011年8月28日 地機織り 角帯

角帯3

2013年2月8日 角帯 地機織り 基礎技術習得

北村織物アーカイブ2

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編集しきれない部分があり、徐々に編集していきます。

北村織物アーカイブ

作製編集 北村陵

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