つづり
| 弐代 北村勘一 <kanichi kitamura> |
| 毎日新聞社より人間国宝指定。(しかし、管理人は結城紬には人間国宝はいないと断定する。これは過去の代表者ということで打ち出されたものだ。よって結城紬には人間国宝はいない。それに本場結城紬は団体指定で個人にタイトルをあげるわけがないと思われる。昔の言い伝えにすぎない。)徹底的な統率力を持ち、戦前からこの地を守った。先代が武家であるが、戸籍上、記録が無いと思われたが北村直三郎がいた。妻北村いち。したがって、二代と称す。青色桐葉章を日本国天皇から受賞。サイト内に当時の写真掲載。のち、当時の写真があるが、親戚のもとより公表する。妻は機の音を聞いていないと落ち着けず、休日をつくらないシステムをつくり陰の大黒柱的な活躍をし人生を全うした。 |
<追加 掲載>
| 古紙新聞、茨城毎日掲載、人間国宝の神業掲載。毎日新聞人間国宝の絣括り より など。北村勘一の今。 朝日新聞、人間国宝、 茨城新聞。<保存 北村織物>古風....など <NHK取材協力アーカイブス深夜放送<NHK保存> |
| 記載新聞より、北村直三郎氏は紬に携わり、妻、北村いち、北村いちは、いざり機<現在は死語>じばた(地機)による、日本最古の織り道具、その北村いちは、当時、したたかで、きんじょほうぼう、織の神様と言われ、その息子である人間国宝、北村勘一(指定)に伝授。結城武道と町田家より、武士という家紋が残され、先祖代々、武士家北村、つむぎ一家、という称号と同じくして、天皇側近に指定される。特にその当時の貧困の中、耐え、後(のち)親戚一同掲載黙秘。100年記念は行なわなかったのである。それは、戦没者の志と国の代表として、旧名、こばな(小塙)の北村という説が残され、現在、に語りつむがれる。陣随をくむ意志を残し72歳に一斉、元組合長理事長。ただ、ここでも言う事であるが、代表選考は分からないし、国宝というのはあまりよいことではない。>R>確認済み |
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| 裸電球をぶらさげて、夜中も働き、休日が無いころという時代の織り。 |
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| 糸を巻く写真であることは誰でも分かる。今はこの工程はモーターで管に巻く。均等で効率よく、糸のムラ(太さのばらばらさかどうか)を糸が切れた時分かる。織りと素材面でもモーターの方がいいのでそうなったのであるが、三工程は国の指定を受けている作業は機械化出来ない。それが糸を扱う職人の苦悩とやりがいであり、未だに手紬糸は重宝されている。 |
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| 平成11年1999年4月 当時奥順株式会社社長より織元として登場した。私の祖父、祖母である。このころ私の父で3代続き、紬の産地として紹介された。 |
| 結城紬は岐阜から技術伝達をうけて発展し、後、鎌倉、室町時代の幕府献上品となり、江戸時代には縞が開発される。卸商ではその名も縞屋とよばれるほどになる。かねて技術が高度に上がり昭和になり国の重要無形文化財、伝統的工芸品に指定される。 |
| 文献では、当時奥順株式会社卸商からはこんなコメントが載せられている。 |
| <40にも及ぶ作業は分業化され、すべて手作り。おばあちゃんは糸紡ぎ、ご主人は絣くくり、奥さんはいざりを織る。織り上げた反物を縞屋で取引し、帰りに結城市の商店街で買い物をする。これが今(平成11年度のこと)でも残っているんですよ。そうした織り人さんの家族の絆。> |
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| 絣くくり<昭和時代> | 墨付け<昭和時代>昔は野外で行なった。今も天気によっては野外で行なう。 |
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| 絣くくり絣くくり<北村勘一>紬の柄は絹糸(手紬糸)に墨をつけ、その墨の跡の上を木綿糸でくくり染色して、防染し柄ができる。紬のたて、よこともこの工程でできあがり織られて柄となる。 | 糸取り<真綿から糸を取る。後、この手作業による糸とりは文化的価値が見直され、文化財指定工程<三要件>のひとつになった。 |
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| 昭和から文化財指定とともに全国に結城紬の
名が通り結城紬の実演が増えた。 |
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| 検査基準とその昔、今 |
| 今日(こんにち)の本場結城紬は厳しい検査基準を満たした着尺だけに証紙が貼られる。
検査のなかった当時の本場結城紬が北村織物では着物として残っている。検査には寸間何本糸がはいっていないといけないか、とか糸の太さも検査にもりこまれ現在の本場結城紬(地機織り)は糸が細い。ゆえとても繊細で軽くて暖かい。基準を満たしているので糸の細さも糸をとってもらう糸生産者にも細くとってもらっている。検査の無い昔のものは、ここでは北村直三郎から北村勘一(括り代表者茨城県の認定者)、ほぼ勘一のころであるが現在でも着物として残っているので別に言うと資料やお手本、当時の技術が分かる。極端に細い糸を使用した着尺と現在では使用されない太い手紬糸を使い地機織りをしていたのだ。 これをもとに2008年、北村織物では明治時代の細い糸を選んで現在でも検査より細い手紬糸を使用して復刻版の着尺を製作した。なお、作業工程は同じであったが糸が細いので普段より時間がかかった。 |
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| 上記写真<明治時代の着尺の再現に成功> |
作製編集 北村陵