<北村織物アーカイブ2>

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北村織物

<伝説になるのに必要なのは、いきざまだ。>

北村織物初代 北村 直三郎 < Naozaburou Kitamura >

北村織物は、佐多稲子の文学に登場するが、ここでは

北村勘一、すなわち北村直三郎の息子からの登場である。

この佐多稲子のインタビューには、勘一が人間国宝とされており、

父から絣括りや家業を継いだというようなニュアンスの

言葉が記録されていることが確認されている。

そのため、直三郎はどのような人物かは謎であるが、

町田家から武士の家紋を譲り受けたというのだから、

相当な人格者だったのか、また逆なのか、それも謎である。

 

北村勘一 同左
北村勘一を中心に大家族が結成された。 北村勘一の長男、敏雄は跡を継がせ、次男は、独立させた。その寂しさが漂うような一枚である。次男は国鉄に勤務し成功をおさめたが、それでも寂しそうである。
神技と称された200蚊絣(現在 結城市保存の反物制作)の エ

欅の木2本の下で写真をとる。2010年、その欅は寿命のため、

健田須賀神社の神主に依頼し、倒してもらった。

まるで本場結城紬の衰退を表している。

この年のあと、ユネスコ無形文化遺産登録を

本場結城紬は登録をうけることとなるが、

結城紬がそこまでの高みに到達するとは

誰も思っていなかったというのが正直な感想である。

当たり前の営みが、そこまでの金字塔をうちたてる

とは思わない。

自宅前での作業

絣括り初代茨城県代表者となった勘一は72才まで、実演をこなしている。このころは70才いきれば長生きとされている時代である。

天皇側近の兵士 近衛兵(このえへい)に指定配属されるが、その中でも自分より立場がうえの人に、シャケ弁当が出されたときに、シャケの身を上司に渡して、自分がシャケの皮を食べたら、上司に<馬鹿たれ、皮がうまいんだ!この野郎!>と怒鳴られたそうだ。この短きエピソードは今も伝説となっている。確かに皮はアブラがあって昔は魚でも贅沢なものだったと思う。

家族をとりまく勘一。