結城紬のデザイン (現代編集 北村陵)

結城紬のデザイン
結城紬のデザインの変遷を見ると、その昔は白や色無地だけだったが、江戸時代に入り、縞の技術が導入され一般化した。江戸末期、はじめて絣が織られ、明治の中頃からはトンボ絣、十絣、井桁絣、亀甲絣が織り出されるようになり、大正になって緯絣の表現に成功し、女物へ進出が目立ってきた。しかし、これらは単純なものが多かった。

昭和のはじめ頃、試験場の指導により、自由奔放な模様が、結城紬にとりいれられるようになり、今まで男物が主力であった結城紬は、次第に女物へと需要の変化がみられるようになった。

戦後は、亀甲絣や蚊絣を使った、細工物と称する高級品が、数多く生産されるようになった。この裏には、規格化された結城特有の方眼紙の作成や、小林作次郎、外山好両氏の発明による<経絣くくり枠>の一般への公開も、大きな功績を果たしている。

結城紬のデザインは、他産地の織物のように、一枚の図案で数十反の織物を作るのではなく、一柄で一反から四反しか織らない。そのため多種多様の柄があることが特長である。また、古い歴史をもつ織物であり、素材の民芸的な味わいを生かすところに、意義があるので、流行を追わず、伝統的な古典の美しさを秘めたデザインが、魅力の中心となっている。

<追筆>

平成に入り、パソコンでデザインをする事が出来るようになり、それ以前は図案は手書きだったが、大幅に時間の節約ができ、さらには複雑なデザインの再現や高性能、高精度な立体感あるものが作成可能となり、デザイナーが格段と多くなった。パソコンができる人が結城紬のデザインをかじる形になり、一般からの図案企画などが集められているという。

以上である。