結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

 

明治期の諸産業  1 結城織物業の発展

 

結城物産織物商組合の設立

問屋業に新規に加わろうとする第一の動きは、1884年(明治17)に現れた。すでに述べたとおり紬

の産額の半ぼ以上は栃木県下都賀郡の東南部の農村で作られていた。同年3月にこの村々の関係者が

相談し、紬販売の会社を設立しようと企てた。このような動きは当然結城町の問屋の独占的支配と

対立するものであり、<結城町の商人の困難なるより、百方熟議となり>この計画は実現しなかった。

この種の第ニの企画としては1887年設立の結城物産織物会社がある。この会社は結城町の古山嘉平

(穀物商)、若井治平、などが設立したもので、第六十国立銀行(本店は東京、宇都宮に支店)の資力

を背景にして、一時は豊富な資金をもって結城町の諸問屋を圧倒する勢いがあった。しかし会社内部に

近江屋(山中)太兵衛商店の継承をめぐって紛議が生じ、間もなく力を失った。第三の出来事は1896年

(明治29)に計画された結城産織物合資会社の進出である。穀物商の藤貫健吉および醤油醸造業、

肥料商の犬丸清兵衛らは、1896年7月に会社組織で大規模に織物問屋業を始めようと企てた。旧来の問屋

はこの動きに強く反対したが、翌1897年2月に藤貫を社長とする結城産織物合資会社が設立された。

先の2つの計画のいっそう強力なものが現れたわけであって、旧来の問屋の営業ぶりに批判的な人たちが、

この会社設立を支持していたと思われる。しかもこの会社は、犬丸、藤貫らが役員である小山銀行の

資金力をバックにしていた。旧来の問屋はこの織物合資会社に対抗するため、1896年(明治29)に自分

たちも結城産織物業を設立する計画を立てたが、実現しなかった。結局、旧来の問屋たちは藤貫らの合資会社

も織物商組合の一員として加入を認めた。(そして旧来の問屋は自分たちの金融機関として結城銀行を

設立した)。この措置によって、対立は残しながらも、とにかく結城町の問屋としての独占的支配の組織

を守り通したのである。

1887年(明治20)の結城物産織物商組合の設立は、近代の結城織物業の発展と特色を考える場合に、

非常に大きな意味を持っている。

 

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