結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

 

明治期の諸産業  1 結城織物業の発展

日露戦争と結城織物業

日露戦争(1904〜05年)は国民生活に大きな打撃を与え、消費は大幅に減少した。とくに戦時増税策

として1904年(明治37)に織物消費税が制定され、織物価格に対して10%の税金が課せられたこと

も原因の一つとなり、各地の織物業は不振に陥った。結城織物業でも1903年(明治36)と1904年

を比べると、紬は6000反もの減少、織物業も一万反以上の減産となっている。

一方、石下町の織物業は高機業による綿織物専業であり、戦争前でも年々衰微していたが、開戦に際して

深刻な影響をうけて<ほとんど廃業同様>になった。

結城紬は開戦の影響で1904年(明治37)には減少したが、その後の戦勝気分と豊作によって不振から

脱した。これに反して石下木綿は再び昔の盛況を取り戻すことはできなかった。石下木綿の約半分は

結城の問屋の手で京阪地方に販売されていたから、この不振は結城町にとっても重大であった。

石下木綿の不振の原因は三つある。

(1)販路が京阪地方にかたよっていた。

(2)他県の安価な製品と競争に負けた 石下木綿は堅牢耐久を主眼とし、コストが高くなっていた。

(3)製品の不整。生産者の大部分は農家の副業として織っているから、製品の品質が斉一ではなく、

大市場向けには適さない。これらの原因で旧来の石下地方木綿は壊滅した。

しかし、石下地方でも機屋は農家の副業で、織物業の機械、整備に多額の資本を投下しているわけでも

ないし 、機屋の収入のみで生活してもいなかったので、<職工は主に農業其他の労力に従事し、生活

非常の困難を来し居るものなし>という状況であった。結城の機屋も事情は同じであって、織物を専業

としていないために、この大不況にも倒産することがなかった。

日露戦争期の不況の際に、結城町の織物業では、一時的に紬および絹綿交織が減少して、綿織物の生産

がふえている。消費者は高級品である紬の買い入れを控えて、より質素な綿織物を購入したことになる。

しかし石下木綿のような需要が生じたのである。従って景気が回復すれば、この種の代替的な需要は

本来の紬へと戻っていく。

日露戦争の紬生産の増大と、結城木綿の生産減少は、このような一時的変化を示している。

 

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