結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P438

桑苗生産

結城郡の桑苗の生産は、大正期には数量、価額とも県全体の二分の一から三分の一に当たり、

県下第一の地位を占めていた。結城市域のほか、中結城村、名崎村の一町六か村の生産高が

結城郡の生産高とほぼ等しかった。そのうちでも、結城町、絹川村、江川村、上山川村の

生産高が圧倒的に多かった。しかし結城郡の桑畑面積は150〜180町歩で県全体の10%前後

であったから、結城地方の桑苗の生産性は非常に高かった。つまりこの地方には優良な桑苗の

畑が多かったことになる。

茨城県は1909年(明治42)に県農会へ補助金を出して、優良桑苗を無償配布している。結城郡

でも1917年(大正6)度に1075円の郡費をもって苗を買い上げ、これを交付している。

1910年(明治43)に絹川村で鹿窪桑苗製産組合が設けられ、宮田蚕次郎(国三郎の孫)が組合

長に就任した。この組合は桑苗改良を目的とし、栽培法の改良、苗木の選別、荷造り運搬にも

意を用い、組合員の桑苗には組合標章を付けて信用を維持しようとした。

さらに桑苗品評会を毎年開いて、優等品を表彰するなど、桑苗の生産、輸送、販売のうえで

いろいろな改善をはかった。このほか、結城町では1911年(明治44)に秋葉昌太郎が大規模な

桑苗、蚕種製造を開始し、結城町の桑苗生産は昭和期に絹川村、上山川村を超えるまでに急成長

する基礎を築いた。第一次大戦期の好況期に桑苗生産も、養蚕業とともに発展したが、大戦後の

世界的恐慌により、桑苗の生産数量は半減し、価額は茨城県では四分の一以下に、結城郡では

十分の一近くまで減少した。養蚕業に関係する農家が、反動恐慌によっていかに大きな打撃を

受けたかを、この数字ははっきり示している。第一次大戦後の桑苗生産についてみると、県全体

では昭和初期に再び発展の時期を迎えたが、結城郡では大戦直後のような隆盛期は再び訪れなかった。