結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P467

結城の工業試験所の設置

1921年(大正10)6月、県産業調査会において工業試験機関設立の議が起こり、同年12月の

通常県会で工業試験場の予算20万円が認められた。翌年4月13日に茨城県工業試験場が設置され、

その事務は当分のあいだ県庁内で取り扱われた。結城町は、同町字根本原に、3095坪の敷地を

寄付した。その敷地に本館、工場、倉庫および寄宿舎などが竣工し、事務を開始したのは、1923年

7月10日のことである。茨城県工業試験場(結城)の設置目的は<染織ノ改良発達ヲ図ルヲ目的>

としていた。試験場では結城紬、足袋底、木綿織物の在来織物業の改良にとどまらず、輸出向けの

羽二重地の製織を試験的に行い、将来この工業試験場を拡張して、資本金200万円の羽二重織りの

工場にするもくろみがあった。この企図があったため、結城町は工業試験場の誘致に非常に熱心で

あったともいえる。このほか近代的技術、原料を利用する染色の改善、織物デザインの指導などが

試験場の主な業務であった。第一次大戦期を通ずる全国的な重化学工業の発展に対し、農業中心の

茨城県の工業生産を増大させる道として、繊維産業の振興を県の重要経済政策の大きな柱とするこ

とになった。すでに茨城県は全国6〜7位の養蚕県であたから、茨城県是製糸株式会社を中心として

県内産繭を使って優良な生糸を作り、試験場が指導してその生糸で輸出羽二重を作ろうとした。

養蚕ー製糸ー織物という生糸の原料から完成品まで、一貫生産することによって県の工業生産をふやし

県民所得の増加をはかろうとした。農業県の基盤のうえに近代的繊維工業を確立しようとしたわけである。

 

<結城の工業試験所の設置(2)につづく>