結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P665

農業生産の足どり

養蚕業の盛衰(1)

結城市域の農村では、繭は米麦に次いで最も重要な収入源であった。結城の養蚕業は鬼怒川

沿岸を中心に発展し、1931年(昭和6)には、養蚕農家戸数は結城町で201戸(全農家戸数

903戸)、山川村230戸(同608戸)、江川村247戸(同641戸)であり、同じ年の数値が不明

な絹川村や上山川村では前後の数値から推して養蚕農家の比率はもっと高かった。このように

養蚕業は結城市域の広範な農家の重要な副業として営まれていた。昭和恐慌による繭価の暴落は、

これらの養蚕農家に大きな打撃を与えた。1931年3月政府ではこの窮状を打開するため蚕糸業

組合法を制定(7月15日実施)して、生産調整や販売カルテルを推進し、同年6月には農林大臣

の訓令(5月)によって県を通じて町村宛に前三年間平均の三割減の生産調整を指示した。また

江川村大字田間や大木では 桑園改植実行組合を作り、2400円の改良事業費を借り入れ、それぞれ

47反の改植を実施した。翌年には蚕糸業組合法に基づき結城町では15、江川村では大字毎に18

の養蚕実行組合が設立され、ほぼ全部の養蚕農家が参加した。養蚕実行組合では桑園の整理と改植

、蚕種の統一と共同購入、繭の共同販売を中心にして養蚕業の発展をはかった。

 

<養蚕業の盛衰(2)につづく>