結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P669

桑苗生産の発展

上山川村、絹川村を中心に発展してきた桑苗生産は、昭和恐慌以降になると結城町、上山川村

、江川村が生産の中心になった。桑苗の生産は、九州の佐賀県や福岡県あるいは四国徳島など

の河川の流域から採取した桑の実を購入して栽培した(桜井兼太郎談)。昭和恐慌下の1932年

(昭和7)には、桑苗は1000本わずか2円85銭にしかならず昭和初年の5分の1以下に下落した。

桑苗を積んで<たき木>にしたのもこの頃からであった。この状態を克服するため、1932年に

は茨城県桑苗同業組合が設立され、上山川村の桜井兼太郎が組合長に就任した。

翌年になると結城町では桑苗立毛品評会を開いて桑苗、桑葉の改良に力を入れ、また同年11月

14日〜16日には茨城県と県桑苗同業組合主催の全国桑苗共進会が結城町で開催され、桑苗の改良

と普及に努力が払われた。このような努力と景気回復を背景に、桑苗の生産量は1933年、34年

から急速に増加し、茨城県は全国一の桑苗生産県となり、その中心が結城町、江川村、上山川村

であった。結城町では1932年(昭和7)に約110万本であった桑苗の生産量は、1935年には402

万4200本に、1936年には445万7700本となり、わずか3,4年で4倍に増加した。江川村でも2年間

で100万本単位で増加していった。結城町や江川村の各農家の桑苗は、桑苗同業組合に集められ、

岩手、山形、新潟、福島、長野、島根などの養蚕組合を中心に出荷された。1938年の秋には各地

より注文が殺到し、岩手、山形、新潟、福島からの注文だけでもさばき切れぬほどで、桑苗相場も

1000本平均20円になった(a)。翌年には遠くは島根を中心とする中国地方に50万本出荷され、岩手、

福島、山形、長野、新潟の諸県にも前年同様に出荷され(b)。この年桑苗取引終了後に、価格の統制

が通達され、桑苗も統制経済の規制をうけることになった。

 

(a)いはらき新聞、昭和13年11月20日付

(b)いはらき新聞、昭和14年11月10日付

 

<桑苗生産の発展 終わり>