結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P714

結城紬織物業の変遷

(1)紬生産の変容

恐慌の影響

1927年(昭和2)の金融恐慌に続く1930年の昭和恐慌によって、紬の価格はかつてない暴落を

示した。1926年(大正15)には一反平均34円であった紬の販売価格は、1933年(昭和8)には

18円にまで落ち込んだ。価格の暴落にともなって、生産高も1932年まで減少の一途をたどり、

ピークであった1921年(大正10)の半分以下、1926年の三分の二以下の2万2600反になって

いる。昭和恐慌の前年ですら、県の商工主任は結城紬の状況を次のように語っている。

<県産の結城紬の如き逐年安値歩調であったのが、今秋に至って更に低落し、昨今では四割安ぐらい

では大勢を喰ひ止め切れない。最近まで56円を唱へた縮物は30円前後、30円前後を唱へていた平織

は15円乃至20円といふ悲惨な状況である。こうなっては原料手間等の採算がとれるものではなく、

只如何にすれば製品を処分し得るかといふ問題である。>翌年には結城紬の価格は、さらに下落した。

このような採算割れを防ぐために、1930年4月に結城町の紬問屋有志が中心となって、結城紬の打開策

を検討する産業調査会が設立され、また6月には紬の市場搬出の差止めが真剣に検討された。資力の

ある機屋(製造業)の中には製造品をすぐに販売せず、値のいい時機まで手もとに置いておく者も

現われた。しかし、より根本的な防衛策として、問屋も機屋も追求したのが、需要に見合った高級な紬

を生産することであった。というのも、売ればもうけが多く、しかも高級品ほど不況の影響が少なかった

からである。たとえば<本場結城紬業務成績書>(鈴木信一氏蔵)には1927年以降1932年〜33年まで

深刻な不景気について言及しながらも、高級品については<柄行色合等を更に現代味に調和して其の業

を喚起しつつあり>(1927年)と指摘し、ほぼ同様の趣旨を毎年繰り返している。こうして、昭和初年

から景気が回復する1933〜34年(昭和8〜9)までの不況下においても、結城紬の技術の改良と製品の

高級化が着実に進められていった。

 

<恐慌の影響 終わり>