結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P722

紬織りの女性たち

結城紬生産の主な担い手は、農家の女性たちであった。忍耐強い労働と熟練された技術によって

見事な製品が作られたのである。彼女たちは伝統を守りながら、これに創意工夫して結城紬を

発展させた。その姿を、彼女ら自身の言葉を借りて描いていこう。1905年(明治38)生まれの

北条きく(無形文化財技術保有者)の記憶によると、生まれ育った下小塙では大正時代から二の

字の絣を織っていたが、小塙の婚家の北条家に来ると、姑が非常に機織りの上手な人で絣の80を

織っていた。この姑に教えられて若いきくは、農閑期には朝5時から夜10時まで機織りに励んだ。

姑は83歳まで機織りを続けたほどの働き者であったから、嫁の苦労は大変であったという。

毎年正月の初市(1月12日)には<縞売り>といって、それまでに織った反物を問屋に売りにゆく

のがならわしとなっているが、その日のためにきくは姑と二人で11月頃から10反ぐらい織りためる

のが例であった。そのためには正月も元旦に仕事を休むだけで、親戚同志も年始回りをやめる申し合わ

せをして仕事に精を出した。縞売りの時は女たちが自分の織った紬を持って売りにゆき、帰りには

色々の買い物などをすることもあった。しかし北条家では主人が売りにゆくのが常だった。<女では

(おししき)<問屋との取引き>の時買いたたかれる>というのが理由だった。そして反物がいくら

に売れたとしても織り手である女たちがその金を手にすることはないが北条家ばかりでなく当時一般

のやり方であった。朝早くから夜まで機に上り複雑な図柄の紬を織るということは何よりも肉体的

苦痛をともなうことである。細かい仕事のため目を悪くし、腰に力をこめて引っ張る地機で腰を痛める

人も少なくない。その上長時間の緊張と、家の中でただ一人機に向かうことは精神的にも苦痛であり

孤独な仕事といわねばならない。それだけに仕事を離れた時の喜びは大きい。かつて小塙には二軒の

風呂敷があった。夜の九時、十時になると仕事が終わった嫁や娘が集まってくる。それでは<一反を

何日かかって織り上げたか>とか、<今度のはいくらに売れたか>など紬織りにまつわる話が話題と

なった。また今日も続けられている無尽や十九夜観音は機を織る女性たちの楽しみの日である。

昔は無尽で当てた金は機のもとでとなったし、十九夜講には機神様も祭られ、そこでは機織りの苦労や

工夫が話し合われるのであった。

 

<紬織りの女性たち (文章一部省略) 終わり >