結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P728

紬問屋の資金繰り

産地の紬問屋は、紬を生産者から現金で買入た。そのため、紬の買入れが頻繁になる農閑期

になると、紬問屋では毎朝取引銀行から現金を下し、店先に札束を並べる光景がみられた。

生産者は反物を抱えて問屋に売りに来た。店先でそろばんを片手にした主人や番頭と値段

の交渉が行われ、値が決まるとその場で生産者は現金を受け取って帰った。紬問屋は生産者

から現金で反物を買入れたが、消費地の問屋やデパートなどに売る場合には信用販売であった。

消費地の問屋やデパートは、30日、長くとも60日後に取引銀行から支払う約束手形を紬問屋

宛に振り出して紬を買入れた。紬問屋ではほとんどがその手形を自分の取引銀行などで割り引

いてもらい、約束より前に支払代金を入手した。奥沢の例をみると、同店では常磐銀行とも

若干の取引きがあったが、ほとんどの金融の取引きは足利銀行結城支店と行っていた。紬買入

資金の不足する分は、足利結城支店宛の30日後払いの手形を振り出して同行より借り入れた。

同じようにして坊野宗兵衛からの借り入れも多い。他方で同店では信用販売した紬の売却代金

である奥沢宛手形を、足利結城支店か第一銀行栃木支店で割引いた。その年間件数と金額は

1930年(昭和5)では56件3万9606円96銭になっている。このほか消費地の問屋やデパート

が足利結城支店宛に振り出した手形が35件(1万5299円96銭)ある。この手形は奥沢の足利

結城支店から借入金の清算に当てられたのである。このように産地の買継問屋は現金買い、

信用販売であった。かなりの自己資金を所有していたとはいえ、短期的な運転資金の調達に銀行

が必要だったのである。紬問屋の取引銀行は、ほとんどの問屋が一行と緊密な関係を結んでいた。

河野商店や村田商店は足利、奥順(奥澤順一)は常磐銀行というように、他銀行と取引きは、

取引先の指定があった場合などに限られていた。紬問屋は多くが足利を利用していた。

情報が早く織物関係の金融に機敏であったからである。(河野吉郎談)。以上述べてきた紬問屋

の資金繰りは、昭和恐慌から戦時体制下で紬の生産が事実上停止されるまで基本的に変わらなかった。

 

<紬問屋の資金繰り 終わり>