結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P962

谷沢家の紬織り(2)

谷沢家では原料の紬糸を糸商から買い入れている。1971年の紬糸代は67万3600円

となっている。紬糸は近隣の主婦に委託して糸巻きを行い、これに問屋から依頼され

た図案に合わせた絣くくりをする。同家では自家の男手によって大部分の絣くくりが

行なわれ、一部が委託にまわされる。染色後、糊をつけて下拵えする。1971年には

1万6260円の糸巻賃、6万1000円の絣くくり賃、3万7543円の染め賃が主なる支払

いとなっている。反物はほとんど全部が買継商の依頼により図案が与えられた生産で

あるから、完成の都度買継商の店頭に持っていって売る。価格の決定は両者の交渉に

よって行われるが、売手も買手も専門家であるから、大部分短時間で商談が成立する。

1971年の販売高(23反)は354万8000円となっている。最高50万から最低5万

9000円(無地)まであるが、11〜15万のものが大部分であった。谷沢家では中級品

と高級品を中心に生産している。宮崎地区では麦作協業組合の設立を契機に経営の重点

を紬生産に移した農家が多いが、谷沢家はその代表的な事例とみることができる。(a)

農作業から大部分解放されて、谷沢家では高級品の生産にいっそう努力しながら、

生産規模を拡大した。1970年代になると住み込みの見習人はほとんど居なくなった。

既婚者(大部分がサラリーマンの妻)が一日数時間づつ2〜3ヶ月かけて見習に通うよう

になった。簡単なものを2反ぐらい織り上げると独立した委託生産者となる。勿論、

技術指導は独立後も続ける。1975年(昭和50)同家の見習人は4人おり、月々1万円

から3万5000円の手当が支払われた(合計33万)。この年の委託生産者は13人で30

反生産している。年間生産量は5反生産が1人、4反が1人、3反が7人、2反が2人、

1反が2人となっていた。2〜3反生産が普通となっている。織賃は最低1反1万8000円

から最高25万となっているが、6万円から11万円程度支払われるものが多い。この

年の織賃支払額は276万5000円に達している。これに次いで紬糸など192万8950円

、絣くくり賃(一人)51万、染色料24万6769円、糸巻賃(一人)6万5480円、

糸とり賃(二人)3万4400円が主なる支出であり、紬の売上額は949万8000円(30反)

となっている。

 

(a)1974年谷沢家の協業組合への供出労働時間は517時間20分

 

<谷沢家の紬織り 終わり>