結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P963

秋元家と大島家の紬織り(1)

宮崎麦作協業組合の初代組合長を勤めた秋元富夫家は約2.7ヘクタールを耕作

しながら紬の生産を行っている。このうち水田1,7ヘクタールと桑園40ヘクター

ルを共同耕作し、畑約60アールを自作しているが、普通畑30アールは耕作して

いない。地区外にある桑園20アールは桑葉で販売する。10アールを自家用の

葉園として耕作している。1974年(昭和49)には組合長として全体の管理

に当たったため、一般組合員よりいちじるしく多い1245時間20分出役している。

(a)。秋元家でも明治前期から農閑期副業として紬を織っていた。戦後は妻が

絣くくりや下拵えをしながら織り子(手)を雇って紬を織っていた。年間生産

量は15反ぐらいであった。秋元家では長男が農業に従事するようになった

1960年代後半から紬織りの規模を拡大した。1970年(昭和45)頃は住み込み

の見習人も3〜4人ずつ置き、2年ぐらいの見習で一応のものが織れるようになる

と通いの見習人が2人ぐらいになった。現在同家では家族2人に加えて雇人1人

見習1人の合計4人で年間10反くらいの生産を行っているほか、4人の委託人を

抱えている。絣くくりは長男と見習人の2人で行い、下拵えは家族が随時行ってい

る。農業経営との関係でみれば紬生産の方が多いためどうしても共同耕作を軽視

しがちで、これが最近の米作減収の主因になっている。米麦作の共同耕作を軌道

に乗せながら、紬織りの発展をはかることが今後の課題である。

 

(a)このうち370時間30分は長男がオペレーターとして出役

+絣しばり を 絣くくり に変換してあります。

 

<秋元家と大島家の紬織り(1) 終わり (2)につづく>