結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P978

茨城県繊維工業指導所の設立と生産指導(2)

繊維工業指導所の独立と発展がまたこれに呼応した。新聞報道(a)によれば茨城

県ではこの頃から指導所の機構拡充と工場施設の改善を積極的に行ない、本場

結城紬織物協同組合傘下六部門への指導体制を強化した。機織工場新設(b)、

図案室新設、染色用ボイラー室新設(c)などが続き、1955年には所長以下

21名の機構も完成した(d)。指導所では紡織、染色、図案の各部ごとに技術

向上のための試験と業界指導を積極的に行ったが、とくに注目されるのは春秋

二回の需要地市況調査と、これを基礎とする業界指導であった。1951年(昭和

26)7月24日の新聞報道<いはらき>によれば指導所では名古屋、京都、大阪

の各都市の有力問屋やデパートに担当者を派遣し、需要者の嗜好や、技術上の

問題点について調査を行っているが、以後毎年調査を続け、これを基礎とした

技術指導によって品質の向上をはかった。1956年度における事業をみると、

7月12日から17日にかけ東京、大阪、名古屋を中心に有名デパートや集散地

問屋で、冬物に対する意向調査と市況調査を行い、12月にはほぼ同じ様式で

翌年春物に関する調査を行っている。図案ではこの調査を基礎に秋冬物および

春夏物の流行予想色標本各200部を作成して、業界や関係官庁に配布して参考

に供した。さらに業界の依頼に基づいた図案作成も行った。1956年度には

業界の依頼によって544点におよぶ図案を作成した。意向調査や市況調査を

基礎とした図案の作成や展示会を開催して、業界の生産指導にも当たった。

染色部でも秋冬物、春夏物について、それぞれ流行色の染色試験を行って

染色業者を集め、染色に関する講習会や研究会を開催して、技術の向上に大き

く貢献した(e)。

 

(a)昭和26年12月31日付<茨城新聞>

(b)1952年3月

(c)1953年1月

(d)茨城県繊維工業指導所<昭和30年度業務工程報告書>に残されている。

(e)茨城県繊維工業指導所昭和31年度<業務報告書>より

 

<茨城県繊維工業指導所の設立と生産指導(2)おわり >