結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P986

検査制度の整備(2) 

同種の報道は当時いくつかみられたが、このような報道に接して産地では

結城紬の粗製乱造を憂慮する声が急速に高まった。技術保存会の改組と

これを契機とする検査制度の整備を求める声が一段と強くなった。とくに

検査制度については戦前に実施していた県営検査制度の復活を求める声が

強くなった。戦後は組合や保存会の手による自主検査が何回か実施された

が、いぞれも充分成功しなかったためである。1961年(昭和36)には

結城紬関係組合の代表者が蓮署をもって戦前実施していたような県営検査

を復活して品質向上を推進してほしいと県当局に陳情した。

これに対して茨城県では県営検査は他の県内製品にも影響がおよび、大が

かりな検査機関が必要になるということで、できるだけ地元業者の自主

検査を実施するよう指導した。従来から業界と密接な関係を持っていた

繊維指導所の間に入り、また栃木県側とも折衡して1961年12月茨城、

栃木両県の商工指導課と関係業者代表による協議会を設け、ここで検査

制度の改善について抜本的な検討を重ねた。協議の結果産地、企業の特殊

性にかんがみ、業界の自主性を尊重して自主検査を行うことになり、その

ための独立した機関として両県の関係者組織の参加による本場結城紬検査

協会が設立されることになった。各業者団体の代表によって協会は運営

されたが、実際の検査方法は検査協会と茨城県が検査について委託契約を

結び、検査員には茨城県職員(繊維工業指導所職員)が当たることになった。

検査所も茨城県繊維工業指導所内に設けられ、1962年(昭和37)4月から

業務を開始した。結城紬卸商たちが生産者から買入たものを検査所に持参

して一反ごとに検査を受け、合格品には検査済証と合格証を貼付させること

になった。不合格となった場合は卸商が損失を負担することが多くなったし

検査の結果が直接生産者に理解された方が検査の趣旨にもそうということで

、1971年(昭和46)以降は検査制度の一部改正を行い生産者が検査を受け

合格品を卸商の店頭に持参して販売するようになった。なお、創設以来結城紬

生産の技術改善と普及に大きな役割を果たした本場結城紬技術保存会は、さら

にその事業整備のため1965年(昭和40)4月発展的解散をとげ、これに代わっ

て財団法人重要無形文化財保存会が新設されて事業を全面的に引き継ぎ今日

に至っている。

 

 

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