結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

P999

染色業者

機屋は卸商の注文の模様に合わせて絣くくりを終わると染色業者のと

ころへ紬糸を持って行き染色を依頼する。1952年(昭和27)の調査

では茨城県側に14戸、栃木県側に13戸の業者がいたが、1959年に

は茨城県側10戸、栃木県側9戸に減少した。現在結城市内には4戸の

染色業者がいる。染色業者は現在本場結城紬染色工業組合を組織し、

加盟者は18戸となっている。結城市内の染色業者はいずれも明治期

の創業で、年間を通じて営業している。他人雇用の業者は2戸あるが、

いずれも2人雇用で家族と一緒に数人で営業している。残りの2戸は

家族だけで営業している。結城市以外ではほとんど家族だけで営業し、

農繁期には休業する業者も多い。染色業者の農業兼営も多い。最近で

は機屋が年間を通じて機を織るようになったため、染色業者の仕事

も年間を通じて平均化してきた。絣の模様も複雑となり、染色の技術

もいちじるしく向上している。繊維工業指導所の指導もよく行われ、

指導所を中心として業者の研究会も定期的に行われている。女物が

多くなるにつれて染色も年々多彩になっている。設備の機械化も一部

では行われたが、依然として手仕事を中心としているため、職人の

経験が重視されている。機屋のくくり糸のしめ具合に合わせて染色を

加減しなければならないので顧客はだいたい固定している。業者は

機屋の技術や特徴についても日頃から熟知している間柄であるといわ

れている。戦後は化学染料による染色が一般化しており、藍を使用

した染色は特別の場合に一部の業者によって行われているにすぎない。

染色作業の能率化に従って従事者数も減少している。

 

 

<染色業者 おわり>