結城市の歴史 近代結城のなりたち

引用 参考書籍 結城市史 第六巻 近代現代通史編 発行:結城市  編集:結城市史編さん委員会

 

明治期の諸産業  1 結城織物業の発展

結城紬の作り方

絣紬の工程を細かく分ければ40以上の作業にも分けられるというが、おおまかにいえば、

(1)真綿を作る、(2)紬糸をとる、(3)絣くくり、(4)染色、(5)糊付け、(6)下ごしらえ、

(7)機織りという7つの工程となる。なお、これは平織りの工程で、縮を作るには、緯糸に強く撚りを

かける撚糸の作業と、織ったあと湯に入れて縮ませる2工程が加わる。

(1)真綿を作る

<綿かけ>といい、出殻繭、玉繭を煮たあと、水の中で袋の形にした真綿にする(できた真綿は袋真綿という)

紬一反を織るのに約1500個の繭が必要である。

(2)紬糸をとる

摺りゴマ(胡麻)の入った湯に真綿を浸してから、乾燥する。こうすると糸がひきやすくなる。乾いた真綿を

ツクシという道具にかけて、手にツバ(唾液)をつけながら糸を引き出し、オボケという桶に入れる。この

時に糸に撚りはかけていない。単調で簡単な作業のようだが、一定の太さの糸をとるには熟練を要する。

一反分の糸つむぎには約40〜50日もかかる。

(3)絣くくり

結城では絣を先染め法で作るから、紬糸の絣模様になる部分を木綿糸で固くしばる。こうすると木綿糸でしばった

部分には染料がしみ込まないで、しばらない部分だけが染色される。この絣くくり(絣しぼり、とも、絣くびり

ともいう)は、非常に手間のかかる根気のいる作業でもある。織上がりの柄がうまく合わさるように経糸、緯糸

の双方をあらかじめしばっておくのは、大変な仕事である。一反につき何箇所しばるかは絣の柄によって異なるが、

ひと幅36cmに80の蚊絣で約2万5000回、107の亀甲絣で約7万8000回も結ばなければならない。一日2500結ぶ

のが平均的作業であるから、20日から一ヶ月を要する。

(4)染色

紺色の場合、藍で通常3回染めと乾燥とを繰り返し行う。天気のよい時で、最低3日、雨降りが続くと一週間もかかる。

藍その他染色の取り扱いには専門的技術を要するので、糸染めは染色業者に委託する。化学染料を使用するようになって

から、染色に要する時間は極端に少なくなった。

(5)糊付け

染まった糸に米または小麦粉で作った糊をつけて、強度をもたせ、すべりをよくし、織りやすくする。この糊付けも

織物の種類、柄さらに湿度などを考慮して微妙なカンを必要とする作業である。

(6)下ごしらえ

1340本の経糸をそれぞれ揃えて、経糸は筬に通し、緯糸は管に巻き杼に入れて準備をする。

(7)機織り

いざり機(地機)を使用する。地機では一枚のそうこう(経糸を上下に開ける機構)の上げ下ろしには、足くびを引き綱に

かけて引く。そのうえ経糸の片方の端(織上がりの部分)が機の台に固定されていないので、織る人の腰につけられている。

織るときには、腰の力を加減して糸の張りぐあいを調節する。

 

このように地機を使って織るのは非効率的であるが、細かい絣目を合わせたり、緯糸の打ち込みを強くできるなど。織物の目

がよくしまり、感触(風合い)が良くなるという。手の込んだ絣柄を織るには、細かい絣の目をタテ、ヨコ合わせるために、

全身を使って微妙な調節をするので、数カ月の作業を必要とする。

紬の生産というと、最終段階の機織りの工程だけが目につきやすいが、むしろ織る以前の工程に多くの手間がかかる。紬の

仕上がりを決定するほど重要であり、多くの労力と技術を必要とするのは、絣くくりや糊付けの準備的作業であることは、

当地の人以外にあまり知られていない。

木綿織物を織る場合の(3)からあとの工程は同じであるが、明治期以後、地機よりも高機で織ることが多くなった。高機の能率

は縞や絣によって異なるが、いざり機の約2倍である(紬も高機で織れなくはないが、できあがった織物の丈夫さや風合いが劣るという)。

織りに要する日数は、縞と絣で違い、柄の大小によって異なるが、明治10年代では紬で30日、木綿縞で15日ぐらいであった。

あとで詳しく述べるように、幕末〜明治初年に確立された技術の基本をかたくなに守ってきた、または守らざるを得なかった点に

結城織物の特色がある。

 

<明治諸産業 つづく >